神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

このブログの説明


このブログは、エーゲ海にあるさまざまな古代ギリシアの都市の創建から、ギリシアの古典期、あるいはローマ帝国の時代までの神話、伝説、逸話などを書いていったものです。それが60歳が近くなって見つけた私の趣味です(もう60は越えましたが)。記事を書く上での主な情報源はヘーロドトスの「歴史」トゥーキュディデースの「戦史」パウサニアースの「ギリシア案内記」、あと英語版のWikipediaなどです。



以下の都市について書きました(リンクを貼ってあります)。
アテーナイやスパルタのような名高い都市は、それらの歴史についてはネット上に多く見つかるので取り上げておりません。

カメイロス(4):ペイサンドロス


BC 7世紀にはカメイロス出身のペイサンドロスという叙事詩人が活躍しています。彼は英雄ヘーラクレースの活躍を描いた叙事詩「ヘーラクレイア」の作者でした。彼はヘーラクレースを、獅子の毛皮をまとい、棍棒を担いだ人物として描きました。つまり、現代に至るまでのヘーラクレースのイメージを作ったのがペイサンドロスです。AD 2世紀に活躍したパウサニアースは、自著「ギリシア案内記」の中で、カメイロスのペイサンドロスが、レルネーのヒュドラーの首を1本から多数に改変した、と書いています。レルネーの地に住んでいたヒュドラーは、ヘーラクレースが退治した化け物の1つです。

アミューモーネー川の源流にはプラタナスの木が生えており、その下でヒュドラーが育ったと言われています。私はこの生き物が他の水蛇よりも大きく、その毒には非常に強力なものが含まれていたため、ヘーラクレースは矢の先端にその胆汁を塗ったと確信しています。しかし、私の考えでは、ヒュドラーの頭は一つであり、複数ではありません。カメイロスのペイサンドロスは、この生き物をより恐ろしく、詩をより際立たせるために、ヒュドラーを多くの頭を持つように表現しました。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.37.4 より

その後、ヒュドラーは多くの蛇の頭を持つ怪物として描かれるようになりました。日本でいうヤマタノオロチのようなものです。この点でもペイサンドロスは後世の人々が持つイメージを決定したわけです。

(上:アントニオ・デル・ポッライオーロ作「ヘラクレスヒュドラ」)


ところで、ヘーラクレースはドーリス人にとっては特別な存在でした。伝説ではヘーラクレースの子孫がドーリス人を引き連れて北方からペロポネーソス半島に入り、そこを占領したことになっていたからです。カメイロスはアルゴス人による植民市であり、アルゴス人はこの時にペロポネーソスに侵入したドーリス人に由来していますので、カメイロスの人々にとってヘーラクレースは祖先のようなものでした。アルゴスの王家はヘーラクレースの子孫と称していましたし、カメイロスに植民団を率いた人物もおそらくヘーラクレースの子孫と称していたと思います。ペイサンドロスがヘーラクレースに関する叙事詩を作ったのには、そういう背景があったのだと思います。


BC 6世紀の終わり頃、ロドス島はペルシアの支配下に入りました。その後、BC 499~493年にはイオーニアの反乱が起き、BC 490年とBC 480年にはギリシア諸都市とペルシアが全面対決する2度のペルシア戦争が起きますが、ロドス島はそれらにはあまり巻き込まれずに済んだようです。


ペルシア戦争後、カメイロスを含むロドスの町々はアテーナイを盟主とするデーロス同盟に参加しました。そのため、BC 431年から始まるペロポネーソス戦争では、これらの町々はアテーナイ側で戦いました。ペロポネーソス戦争というのは、ギリシア諸都市がアテーナイ側とスパルタ側に分かれて戦った戦争です。BC 415年にアテーナイはシケリア(シシリー島)遠征を行ないましたが、その際にロドスの軍勢が参加しています。しかしBC 413年にアテーナイとその同盟国のシケリア遠征軍が壊滅すると、ロドス3都市の富裕者階級はスパルタ側への寝返りを画策しました。それに応じてスパルタ側は翌BC 412年、カメイロスに軍船を派遣しました。

他方、ペロポネーソス勢(=スパルタ側)は、ロドス島で最も有力な市民から協力の申し入れを受けて、ロドスへ船隊を進める方針を立てた。(中略)こうしてかれらはこの冬が終るのを待たず、ただちにクニドスから発進し、先ず最初に船隊九十四艘をロドス島のカメイロスに接岸させたが、この間の両者の秘密交渉について何も知らされていなかった一般市民は驚き逃げようとした。この町には城壁の備えがなかったことも、市民に恐怖をあたえたとりわけ大きい原因となっていた。しかしその後、ラケダイモーン人(=スパルタ人)らはこれら市民ならびに、リンドスイエーリュソス両市の市民らの民議会を招集し、説得のすえついにアテーナイから離叛することを承知させた。こうしてロドス島はペロポネーソス側に組することとなったのである。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・44 から

このあとロドス島がどうなったのか、残念ながらトゥーキュディデースは書いていません。全般的な話としては、その後戦場がもっと北のヘレースポントス海域(現代のダーダネルス海峡)に移ったので、ロドス島近海での戦いはそれほどなかったようです。


まだ、ペロポネーソス戦争の決着がついていないBC 408年に、リンドスイアーリュソス、カメイロスの3市は共同で、島の東端に新しい町を建設しました。すでにBC 412年のスパルタ側への寝返りの際、3都市の富裕者階級が事前に合意していたようであることから、富裕者階級ではこのころから共同歩調を取るようになっていたようです。それが進んで、ここに3都市合同が成ったということのようです。新しい町はロドスと名付けられました。このあともカメイロスの町は存続しますが、あまり情報を集めることが出来なかったので、カメイロスの話はここまでとさせて下さい。

カメイロス(3):植民と傭兵の時代


ロドス島にかつてフェニキア人が住んでいたことに関しては、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」に以下のような記述がありました。

イーピクロス
ロドス島に侵入して、フェニキア人を追い払ったドーリス人の将。フェニキア人はわずかにイアリューソス市の城を保つのみとなり、その将パラントスは、烏が黒く、城中の水槽に魚がいないかぎりは城を保ち得るであろうとの神託を得ていたが、敵に召使が買収され、あるいはパラントスの娘がイーピクロスに恋して、彼の命により石膏で翼を白く塗った烏を飛ばせ、水槽に魚を放ったので、パラントスは降伏した。


高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」より


カメイロスはアルゴスからの植民者によって占拠されました。そして、そのあとドーリス人の6つの町、ハリカルナッソスクニドスコース、カメイロス、リンドスイアーリュソスは、同盟を結びました。前にも述べましたようにカメイロス、リンドスイアーリュソスはロドス島の町でした。そして、コースはコース島の町、ハリカルナッソスクニドスは大陸側の町でした。

これらの町は共同の聖地としてクニドスの近くにある「トリオピオンのアポローン」の聖域を持っていました。彼らはこの聖域を管理し、他の町の人々がそこに立ち入るのを禁止していました。そして、「トリオピオンのアポローン」のための祭典ではスポーツの競技が行われました。のちにハリカルナッソスがこの同盟から除名されてしまいましたが、それには、以下のようなわけがありました。

このやり方は、今日の五市(ペンタポリス)、以前は六市(ヘクサポリス)といっていた地区のドーリス人のやり方と同じである。彼らは近隣のドーリス人のどの町もトリオピオンの聖地に入れぬようにしているが、そればかりか自分たち同士の間でも、聖地に関して法を犯したものは、参与を禁じて締め出してしまったのである。その話はこうである。「トリオピオンのアポロン」の競技には、以前は優勝者に青銅の鼎が賞品に出されたが、賞品を得た者はそれを聖地から持ち帰ってはならず、その場で神に奉納せねばならぬ掟になっていた。ところがハリカルナッソスの者でアガシクレスという男が、優勝した後その掟を無視して鼎を我が家へ持ち帰り、家の前で釘で留めて吊るしたのである。この咎を盾に、五つの町、すなわちリンドスイアリュソス、カミロス(=カメイロスのこと)、コスクニドスの諸都市は、第六番目の町に当るハリカルナッソスの参加を禁じて締め出したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、144 から


トゥーキュディデースによれば、BC 7世紀の初め頃、ロドス人とクレータ人が共同で、シシリー島にゲラという植民市を建設したということです。

シュラクーサイの建国から45年目には、ロドスからアンティペーモス、クレータからエウティーモスがそれぞれの植民団をひきいて渡来、協力してゲラを建設した。その首都にはゲラス河にちなんでゲラの名が与えられたが、最初に城壁が築かれて、現在もその町がある地域は、リンディオイと呼ばれている。


トゥーキュディデース「戦史 巻6・4」より


ゲラの町のある地域が「リンディオイ」と呼ばれたことから推測すると、このロドス人というのはリンドスの町の人々だったようですが、あるいはカメイロスの人々も参加したのかもしれません。


カメイロスの町のアクロポリス(=町の中心となる高台。神殿が集中するエリア)には、アテーナー・カメイラス(カメイロスのアテーナー女神)を祭った神殿がありました。この神殿はBC 226年の地震によって崩れてしまい、その後、新しい神殿が建てられました。同じロドス島のリンドスにはアテーナー・リンディア神殿があり、こちらにはダナオスと50人の娘たちがアテーナー・リンディア神殿を建立した、という伝説があります。アテーナー・カメイラス神殿については残念ながら伝説を見つけることが出来ませんでした。ダナオスと50人の娘たちについては「リンドス(2):ヘーリアダイとダナオス」で少し述べました。


この頃はギリシア人の傭兵が外国で活躍した時代でした。カメイロスの人の記録を見つけることは出来ませんでしたが、同じロドス島のイアーリュソスの人が傭兵として、エジプトの南端であるアブ・シンベルまで行ったことが、当人の落書きによって知られています。下の写真はカメイロス出土の花瓶ですが、戦士の頭部をかたどったこの花瓶は、あるいはそういった傭兵の姿を現しているのかもしれません。

(上:カメイロス出土の花瓶。BC 690~675)

カメイロス(2):トレーポレモス


カメイロスの起源についての伝説はもうひとつあって、こちらはヘーラクレースの息子のひとりトレーポレモスがロドス島にやってきて、リンドスイアーリュソス、カメイロスの3つの町を作った、というものです。トレーポレモスは元々ギリシア本土のアルゴスに住んでいたのですが、親戚のリキュムニオス(伯父とも、祖父の弟ともいう)を(細かい事情は分からないのですが)殺してしまったために、アルゴスを出ていかざるを得なかったのでした。妻と、郎党をつれての大集団の移動でした。

さてトレーポレモスはというと、立派なつくりの館の中で
成人すると、たちまち父方の 伯父を殺してしまった、
もう年寄りかけたリキュムニオスとて 軍神アレースが伴侶(とも)なる者、
そこで直ぐ、船をいくつも造らせてから、者どもをあまた呼び寄せ、
祖国(くに)を逃れて海上に船出をしたのも、勇士ヘーラクレースの
他の息子ら、また孫たちが 仇を討とうと押しかけたため。
ところで彼は所々を流浪し さまざまな苦労を重ねつ、ロドスに来てから、
人々と、部族にしたがい、三部に分れて住まい付き、またゼウスの
いつくしみにも預っていたが、神々や人間どもを見そなわしたもう
神、クロノスの御子(=ゼウスのこと)は また莫大な富を 彼らに注ぎ与えた。


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

トレーポレモスとその一族はあちこちを放浪して苦労したらしいですが、ロドス島に着いてからは運が開けたようで「神々や人間どもを見そなわしたもう神、クロノスの御子は また莫大な富を 彼らに注ぎ与えた」とあるように、莫大な富を得た、ということです。


上の引用で「ロドスに来てから・・・・三部に分れて住まい付き」のところが、ロドス島の3つの町リンドスイアーリュソス、カメイロスの起源を示していると思われます。というのは上の引用の少し前で、このように述べられているからです。

この気象のすぐれたロドス人らは
三つの部族にわかたれて、ロドスの島一帯にならび住まうもの、
リンドスイアーリュソスと、白亜に富めるカメイロスと(の三邑)に。


同上

カメイロスについては「白亜に富める」と詠われているので、白亜、つまり石灰石、が多い土地だったのでしょう。

(上:カメイロスの遺跡)


このトレーポレポスはトロイア戦争で戦死してしまいます。彼の後継者の話も伝わっていません。伝わっているのは彼の妻ポリュクソーが、トロイア戦争の原因となった美女ヘレネーを脅して自殺に追い込む、といういやな話だけです。このあとのロドス島については不明です。


トロイア戦争からだいぶ後になって、アルゴスからの植民団がロドス島に植民団がやってきます。その時までにギリシア本土では大きな動乱があり、アルゴスはドーリス人に占拠され、もともとの住民だったアカイア人は隷属民に落とされました。アルゴスからの植民団はドーリス人たちでした。ロドス島の住民がアルゴスからの植民者であることについては、歴史家トゥーキュディデースの証言があります。

ロドス兵は本来(ドーリス系の都市)アルゴスからの植民の末でありながら、同じドーリス系のシュラクーサイ人や、また、ロドス人自らが植民したゲラ市の市民がシュラクーサイ勢に加わっているのを、敵に廻して戦うの止むなきに至った。


トゥーキュディデース「戦史」巻7・57 より

上の引用は、今、述べている時代からさらに数百年あとのペロポネーソソス戦争における出来事(BC 413年)の叙述です。私が示したかったのはこの時代の出来事ではなく、ロドス島の住民はアルゴスからの植民者である、という証言です。


アルゴスからの植民団がロドス島に上陸した頃、ロドス島にはすでにフェニキア人の植民市があったようです。やがてアルゴス人たちはこれらのフェニキア人たちを島から追い出してしまいます。古典時代にはギリシア人が支配的になるエーゲ海ですが、当時はギリシア人のほかにカーリア人やフェニキア人など、さまざまな民族による勢力争いが繰り広げられていたようです。

カメイロス(1):ロドス島の起源


歴史家のヘーロドトスが小アジアのドーリス地方のドーリス人都市を6つ挙げているなかで、カメイロスについては書いていないことが気になってきました。ヘーロドトスがドーリス人の都市として挙げているのは、次の6つです。すなわち、リンドスイアーリュソス、カメイロス、コースクニドスハリカルナッソスです。このうちカメイロス以外の5つの都市については記事を書いたのですが、カメイロスだけは書けずにいました。というのも以前調べた時に、カメイロスに関する情報をほとんど得ることが出来なかったからです。しかし、情報がほとんどなくても書いてみようという気になりました。



カメイロスはロドス島にあった町です。島にはほかにリンドスイアーリュソスの町があり、これらもドーリス人の町でした。そこで、ロドス島にまつわる神話伝説のうち、地名が特定されていない話については、(以前リンドスイアーリュソスでも書いていますが)ここでも重複を気にせずに書いてみようと思います。



ロドス島はエーゲ海の東側の南に浮ぶ島です。面積でいうと日本の沖縄本島に近い大きさですが、沖縄本島よりずんぐりとした形です。神話の世界でロドス島に最初に登場するのはテルキーネスという種族です。この種族は人間ではありません。その姿は半人半魚とも半人半蛇とも言われています。彼らはとても古い種族で、優れた鍛冶屋であり、クロノスの鎌を作ったのは彼らだと伝えられています。


クロノスというのは神々の王ゼウスの父親で、ゼウスが天下を取る前は神々の王でした。古代ギリシアの神話では神々の王権伝授は平穏には進まず、最初の王ウーラノス(=天)が息子のクロノスに敗れ、次に王となったクロノスは息子のゼウスに敗れて、地中奥深くの世界タルタロスに閉じ込められているというふうになっています。このクロノスの鎌を作ったのがテルキーネスたちということなので、彼らはゼウスが生れるより前から存在していたことになります。


また、テルキーネスたちは、海を支配するポセイドーンがまだ幼児だったころ、その母親のレイアから命ぜられて、カペイラという海に住む女神と一緒にポセイドーンを養育したといいます。そこからもテルキーネスたちの古さが分かります。つまりテルキーネスたちはゼウスによる神界の秩序が確立される以前の世界の種族なのでした。ポセイドーンの持ち物である三叉の鉾を作ったのもテルキーネスたちでした。神々の像を始めて作ったのも彼らでした。彼らはクレータ島からキュプロス島を経てロドス島にやってきたといいます。ロドス島は彼らにちなんでテルキーニスとも呼ばれました。やがて彼らは、(旧約聖書のノアの洪水の話に似た)デウカリオーンの洪水として知られる洪水がロドス島を襲うことを予見し、ロドス島を捨ててさまざまな地方に逃げていったのでした。(以上、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」から情報を得ました。)


幼いポセイドーンを養育したり、ポセイドーンに三叉の鉾を作ってやったりしたことから、私はテルキーネスがギリシア神話の中で肯定的な評価を得ているのかと思ったのですが、実際にはそうではなく彼らは災いをもたらす者と考えられていたそうです。そしてアポローンが矢で射て殺したとも、ゼウスが雷霆で撃って殺したとも伝えられています。おそらくゼウスの支配権が確立してからは、彼らに居場所がなかったのでしょう。古代のギリシア人はテルキーネスに善悪両方の存在を見ていたようです。


さて、テルキーネスたちには妹がいて、名をヘーリアーといいます。このヘーリアーという名前は、太陽(=ヘーリオス)の女性形です。そう考えるとヘーリアーとは、日本神話のアマテラスみたいな神格なのかもしれません。ただ残念なことにヘーリアーについてはあまり話が伝わっていません。ヘーリアーは海の神ポセイドーンとの間に子を儲けました。娘が1人と息子が6人でした。娘の名前はロドスといい、この娘の名にちなんでこの島はロドス島と名付けられました。


いやいやそうではなくて、ポセイドーンと(ポセイドーンの正妃)アンピトリテーの娘ロデーにちなんでロドスと名付けられた、という人々もいます。このあたりははっきりしません。


このロドス、またはロデーが太陽神ヘーリオスと結婚してロドス島で生まれた7名の息子たちを総称してヘーリアダイと言います。彼らは太陽神の息子たちということで、優れた天文の知識を持っていました。なかでも長男のテナゲースは一番優れた知識を持っていました。それを4人の弟たちがねたんでテナゲースを殺して、ロドス島から逃亡してしまいました。弟のなかでオキモスとケルカポスはこの殺人に加わりませんでした。兄のオキモスがロドス島の王となりました。のちにケルカポスはオキモスも娘キューディッペーと結婚し、オキモスからロドス島の王位を引き継ぎました。ケルカポスとキューディッペーの間には、リンドス、イアーリュソス、カメイロスの3人の息子が生れました。この3人はそれぞれ町を建設して、その町に自分の名を付けました。ということでカメイロスの創建者は、ケルカポスの子であり、太陽神ヘーリオスの孫である同名のカメイロスということになります。

(太陽神ヘーリオス

カメイロス:目次

1:ロドス島の起源

歴史家のヘーロドトスが小アジアのドーリス地方のドーリス人都市を6つ挙げているなかで、カメイロスについては書いていないことが気になってきました。ヘーロドトスがドーリス人の都市として挙げているのは、次の6つです。すなわち、リンドス、イアーリュソス、カメイロス、コース、クニドス、ハリカルナッソスです。このうちカメイロス以外の5つの都市については記事を書いたのですが、カメイロスだけは書けずにいました。というのも以前調べた時に、カメイロスに関する情報をほとんど得ることが・・・・


2:トレーポレモス

カメイロスの起源についての伝説はもうひとつあって、こちらはヘーラクレースの息子のひとりトレーポレモスがロドス島にやってきて、リンドス、イアーリュソス、カメイロスの3つの町を作った、というものです。トレーポレモスは元々ギリシア本土のアルゴスに住んでいたのですが、親戚のリキュムニオス(伯父とも、祖父の弟ともいう)を(細かい事情は分からないのですが)殺してしまったために、アルゴスを出ていかざるを得なかったのでした。妻と、郎党をつれての大集団の移動でした。さて・・・・


3:植民と傭兵の時代

ロドス島にかつてフェニキア人が住んでいたことに関しては、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」に以下のような記述がありました。イーピクロス ロドス島に侵入して、フェニキア人を追い払ったドーリス人の将。フェニキア人はわずかにイアリューソス市の城を保つのみとなり、その将パラントスは、烏が黒く、城中の水槽に魚がいないかぎりは城を保ち得るであろうとの神託を得ていたが、敵に召使が買収され、あるいはパラントスの娘がイーピクロスに恋して、彼の命により石膏で翼を白く塗った烏を飛ばせ・・・・


4:ペイサンドロス

BC 7世紀にはカメイロス出身のペイサンドロスという叙事詩人が活躍しています。彼は英雄ヘーラクレースの活躍を描いた叙事詩「ヘーラクレイア」の作者でした。彼はヘーラクレースを、獅子の毛皮をまとい、棍棒を担いだ人物として描きました。つまり、現代に至るまでのヘーラクレースのイメージを作ったのがペイサンドロスです。AD 2世紀に活躍したパウサニアースは、自著「ギリシア案内記」の中で、カメイロスのペイサンドロスが、レルネーのヒュドラーの首を1本から多数に改変した、と書いています。・・・・

テネドス(11):ヘスティアー


テネドスとはあまり関係がないのですが、前回、女神ヘスティアーが登場したので、何か書いておきたくなりました。というのも、ヘスティアーは実際には厚く崇拝されていた女神であるのに、神話にはほとんど登場しない女神だからです。このことに関しては、哲学者プラトーンのこんな記述があります。

さて、天界においては、まずここに、偉大なるゼウス、翼ある馬車を駆り、万物を秩序づけ、万物を配慮しながら、さきがけて進み行く。これにしたがうのは、十一の部隊に整列された神々とダイモーンの軍勢。これはつまり、炉をまもる女神ヘスティアのみはひとり、神々のすみかにとどまるからである。


プラトーンパイドロス」より

つまり、ヘスティアーは家の、あるいは都市の炉を守護する女神であり、そのそばを離れることがない、と考えられていたのです。そのために他の神々のように方々に出かけていって活躍する、ということがないのでした。


ヘスティアーについての、まとまった神話は、ホメーロス風讃歌の中の「アプロディーテーへの讃歌」の中で語られています。

 畏れおおき処女ヘスティアーも、アプロディーテーの業を喜ばない。曲がった知恵もつクロノスの長女にして、しかしアイギス振るうゼウスの考えにより、もっとも年下でもあるこの女神に、ポセイドーンとアポローンがかつて求婚したことがある。だが女神は結婚を望まず、きっぱりと拒絶し、神々の父、アイギス振るうゼウスの頭にふれて、いつまでも乙女のままでありましょうと、厳かな誓いをたてた。そして誓いは成就した。
 神々の父ゼウスはこの女神に、結婚のかわりとして、栄えある権能を授けた。つまり女神は家の中心に座を占め、肉の脂身を選びとる。どの神殿にあっても、崇めまつられ、人間たちは皆、位高き神々の中に数える。


ホメーロス風讃歌の中の「アプロディーテーへの讃歌」より


この記述で、ヘスティアーが独身の女神であることや、クロノスの長女であること、つまりゼウスの姉であること、家の中心に座を占めることなどが分かります。


「クロノスの長女にして、しかしアイギス振るうゼウスの考えにより、もっとも年下でもあるこの女神」という記述は、クロノスが生まれた子供を片っ端から飲み込んでいた、という神話が下敷きになっています。なぜクロノスがこんなことをしたかと言うと、クロノスは当時神々の王でしたが、自分が息子によって王位を奪われる、という予言を知ったからでした。息子によって王位を奪われるのであれば、男の子だけを吞み込めばいいのでは、などと思ってしまいますが、話の細かいところは目をつぶりましょう。ヘスティアーは最初に生まれた子供だったので最初に飲み込まれました。母親のレア(レイアともいう)はクロノスの行動に憤り、12番目の子供としてゼウスを生んだ時に、ゼウスの身代わりに石に産着を着せてクロノスに飲み込ませました。やがてゼウスが成人した時に(成神した時と言うべきでしょうか?)、クロノスに今まで飲み込んだ子供たちを吐き出させました。最初に吐き出されたのがゼウスの身代わりになった石で、この石はのちにデルポイに安置されました。そして神々が次々に吐き出され、最後に出てきたのが、最初に飲み込まれたヘスティアーでした。これが「長女にして、もっとも年下でもある」と言われる理由です。この神話はヘーシオドスの「神統記」で語られています。もっとも、ヘスティアーが最後に出てきたという話は、ここには出てきません。

さてレイアは クロノスの愛をうけて 栄えある子供たちを生まれた
すなわち ヘスティア デメテル 黄金の沓(くつ)はくヘラ
地の下の館に住み 冷酷な心もつ強いハデス
また轟音とどろかす 大地を震わす神 ポセイドン
また 賢いゼウス 神々と人間どもの父
その雷鳴で広い大地も 震えるのだ。
ところが 大いなるクロノスは これらの子供たちを 呑みこんでしまわれたのだ


ヘーシオドス「神統記」より

「神統記」の語りはまだ続きますが、長いので省略します。


ところで、ローマにもヘスティアーにそっくりな性格の女神があり、その名をウェスタといいます。私はウェスタヘスティアーは似たような名前なのできっと同語源だとばかり思っていました。しかし、今回、「英語版のWikipediaの「ヘスティアー」の項を見たところ、そうではないそうです。なかなか難しいです。