神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スキューロス:目次

1:テーセウスの最期

スキューロス島エーゲ海の中でやや孤立した場所にあります。アテーナイ王テーセウスが住民の反乱にあった時にこの島に逃げたという伝説がありますが、テーセウスが逃亡先にここを選んだのは、この孤立した位置も理由のひとつだったのかもしれません。テーセウスの最後にまつわるこのお話は、テーセウスが親友ペイリトオスと、互いに「大神ゼウスの娘を妻にしよう。そしてそのためには協力し合おう」と誓い合ったことから始まります。テーセウスが妻にと決めたのはまだ少女だったヘレネーです。・・・・


2:アキレウスと息子のネオプトレモス

若きアキレウスは、母親である女神テティスによって女装させられたうえで、スキューロスのリュコメーデースの宮廷に送られました。その訳は、女神テティスにはトロイアで戦死するという息子の運命が分かっていて、何とかその運命を避けようとしたからで、アキレウスをリュコメーデースのところに隠そうとしたのでした。テティスが運命の女神たちから聞いたのは、アキレウスには2つの運命がある、1つはトロイアで命を落とす代りに不滅の誉れを得るというもの、もう一つは、故郷のプティアに留まるならば・・・・


3:パンモン

トロイア戦争が終わったあとは、どの町についても伝説の内容が貧弱になり、闇に消えていってしまいます。スキューロスの場合は、ネオプトレモスがトロイアに向ったあとが、まったく伝えられていません。それでも何か残っているものはないか、と調べてみました。高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」には次の記事があります。アウトメドーン ディオーレースの子、トロイア遠征に際しスキューロス島の十隻の軍船の将。アキレウスの、その死後は彼の子ネオプトレモスの戦車の御者。この点から巧みな御者の代名詞となっている。・・・・


4:テーセウスのアテーナイ帰還(1)

ペルシア海軍にギリシア側が勝利したサラミースの海戦(BC 480年)から数年しか経っていないBC 476年あるいは475年にデルポイアポローン神の神託はアテーナイ人に対して「テーセウスの骨を持ち帰って、自分たちのそばにうやうやしく葬って守れ」と告げました。伝説の述べるところでは英雄テーセウスは、スキューロス島で死んだのでした。ですので、この伝説を信じるならば、テーセウスの骨はスキューロス島のどこかにあるということになります。しかしアテーナイの人々は、スキューロスに住むドロペス族が・・・・


5:テーセウスのアテーナイ帰還(2)

テーセウスの遺骨がアテーナイに帰還した話の周辺には、いろいろ話がありますので(スキューロスから話が外れてしまうのですが)ご紹介したいです。まず、デルポイの神託がアテーナイに対して「テーセウスの骨を持ち帰って、自分たちのそばにうやうやしく葬って守れ」との神託を下した背景についてですが、プルータルコスによれば、BC 490年にアテーナイがペルシア軍と戦ったマラトーンの戦いで、テーセウスの幻影が現れてアテーナイ勢に加勢した、という噂があったということです。アテネ人が・・・・


6:テーセウスのアテーナイ帰還(3)

ヘーロドトスは、テーセウスの遺骨を回収する話に似た話を自著「歴史」に記しています。これはスパルタに関する話で、スパルタに下った神託が、英雄オレステースの遺骨を持ち帰るように告げたという話です。オレステースはミュケーナイ王アガメムノーンの息子で、ミュケーナイ王と継ぐと共に、スパルタの王位も兼ねたという人物でした。神託は、オレステースの墓がアルカディア(ペロポネーソス半島の内陸部。山岳地帯)のテゲアという町にあることを示唆していました。結局、オレステースの墓を探していたスパルタ人リカスが・・・・