神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ヘルミオネー:目次

1:2つのヘルミオネー

私はずっとヘルミオネーという町の名前は、ギリシア神話に登場するヘルミオネーという女性に由来するのだろう、と思っていました。ヘルミオネーは、トロイア戦争の原因となった絶世の美女ヘレネーの一人娘です。しかし、今回調べてみたところヘルミオネーという町とヘルミオネーという伝説上の女性の間に関係は見つかりませんでした。・・・・


2:ヘルミオネーの起源

まずは、町のほうのヘルミオネーについて、その起源を調べていきます。ヘーロドトスは次のように書いています。ヘルミオネ人は本来ドリュオペス人で、ヘラクレスとマリス人によって今日ドーリスと呼ばれる地方から追われてきたのである。ヘロドトス著 歴史 巻8、43 から。ヘルミオネー人はドーリス地方から追われて、今のヘルミオネーの場所にやってきたということです。・・・・


3:ドリュオペス人の移住

前回の最後で紹介したヘーラクレースの物語の異伝にあたるものが、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」に載っていました。ヘーラクレース(中略)[ドリュオプス人およびラピテース人との戦]ヘーラクレースはデーイアネイラとヒュロスを伴って、ドリュオプス人の地を通過中、食糧がなくなり、ヒュロスが空腹を訴えた。その時二頭の牛を追いつつ耕しているテイオダマースに出遇い、・・・・


4:デーメーテール・クトニアー(冥界のデーメーテール)

(上:エルミオニー「ヘルミオネー」の現在の地名のGoogle衛星写真)ヘルミオネーは長い岬の上に建設されていました。そしてその両側には港がありました。かなり後の時代のことになりますが、AD 2世紀のパウサニアースはその著書の中で、この岬には多くの神殿があったことを伝えているそうです(英語版Wikipediaの「ヘルミオネー」の項によります)。その中でヘルミオネー人を含む・・・・


5:アウリスのイーピゲネイア

イーピゲネイアの物語は常に女神アルテミスが関係しています。イーピゲネイアは、トロイア戦争ギリシア側の総大将となったミュケーナイ王アガメムノーンの長女でした。母親はクリュタイメーストラーで、この人はトロイア戦争の原因となったヘレネーの姉に当る人です。ヘレネーが夫メネラーオスの留守中にトロイアの王子パリスとともに出奔して・・・・


6:タウリケのイーピゲネイア

タウロイ人の国タウリケでの風習のひとつには、その国にやってきた異国人、特にギリシア人をアルテミスにいけにえとして捧げるというものがありました。イーピゲネイアは、それに直接手を下すことは要求されませんでしたが、いけにえにされる人に対して浄めの儀式をすることをタウリケの王から要求されていました。やがて年月が流れていきます。その間にトロイアは陥落し・・・・


7:王女ヘルミオネー

ヘルミオネーはスパルタ王メネラーオスと王妃ヘレネーの一人娘でした。ヘレネーがこの娘ヘルミオネーを置いてトロイアに出奔したこと、そしてそれがトロイア戦争の原因になったことはすでに述べました。ヘルミオネーは最初いとこのオレステースと婚約していたのですが、以下のような理由でその婚約は破棄され、アキレウスの息子ネオプトレモスと婚約することになりました。その理由とは・・・・


8:イーピゲネイアとヘルミオネー

以上、イーピゲネイアとヘルミオネーの物語をご紹介しました。私が思うにこの2つの物語には奇妙な類似点があります。イーピゲネイアもヘルミオネーもオレステースによって連れ戻されていること。イーピゲネイアは、嘘とはいえアキレウスと結婚すると言われ、ヘルミオネーはアキレウスの息子のネオプトレモスと結婚すること。以上のような類似点があるのですが、さらに・・・・


9:カラウレイア同盟

ドーリス人の南下よりのちの時代のヘルミオネーについて、英語版のWikiediaでは以下のように説明しています。ヘルミオネーはドリュオピス人の町の中で最も重要であったようであり、かつては隣接する海岸のより大きな部分といくつかの近隣の島々を所有していたらしい。英語版Wikipediaの「ヘルミオネー」の項より その理由のひとつが、ヘルミオネーがカラウリア同盟という・・・・


10:ヒュドレイア島

ヘルミオネーが領有していたヒュドレイア島は、そこにある泉にちなんでギリシア語の水を意味するヒュドレアから名づけられました。現在ではイドラ島と呼ばれ、エーゲ海ミニクルーズの船が寄港する観光地になっています。ここでの観光の目玉は、島全体が自動車乗り入れ禁止になっていることで、観光客が移動するにはロバを用います。BC 520年頃、ヘルミオネーはサモス人たちにこのヒュドレイア島を売り払ってしまいました。・・・・


11:ラソス

ヘルミオネーがヒュドレイア島をサモス人たちに売却して数年後のことですが、アテーナイで活躍するヘルミオネー出身の詩人がいました。彼の名はラソスでした。この頃、アテーナイを支配していたのはペイシストラトスの子ヒッピアスでした。彼の弟のヒッパルコスは占い師のオノマクリトスをひいきにしていました。このオノマクリトスという男はムーサイオスという神話的な予言者の託宣集を編纂したことがありました。・・・・


12:ペルシア戦争

やがてクセルクセース王率いるペルシアの陸軍と海軍がギリシアの北から南下してきました。ところが、ヘルミオネーはペルシアの脅威に対して最初はあまり認識を持っていなかったように見えます。少なくとも、陸におけるテルモピュライの戦いと海におけるアルテミシオンの海戦の時点では、ヘルミオネーは陸にも海にも軍勢を送っていません。隣国のトロイゼーンはアルテミシオンに・・・・