神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

イアーリュソス(10)ロドス(1):絵画イアーリュソス

ロドス市が建設されてから100年ほど経ったBC 305年、ロドス市はマケドニア王デーメートリオス1世の軍隊によって包囲攻撃を受けていました。デーメートリオスはロドス市に対して、エジプト王プトレマイオス1世との同盟を破棄するように要求し、ロドス市がその要求を拒絶したためにこの攻撃を受けることになりました。

(コインに描かれたデーメートリオス)


これは、有名なアレクサンドロス大王が広大な領域を征服したのち32歳の若さで急逝したために起きた混乱の1つでした。アレクサンドロスは死期の床で自分の後継者について「王たるにふさわしい者に・・・」とのみ遺言して死んでしまったことから、アレクサンドロスの部下たちの間で後継者争いが始まったのでした。後継者を名乗る者の一人、プトレマイオスはエジプトに自分の勢力圏を確立していました。ロドス島はエジプトに近かったこともあって、このプトレマイオス1世の影響下にありました。そのロドス島をプトレマイオスから奪って自分のものにしようとしたのが、やはり後継者を名乗るアンティゴノスです。デーメートリオスはこのアンティゴノスの息子でした。


デーメートリオスは移動攻城櫓を使ってロドス市を攻撃しました。この移動攻城櫓をヘレポリスといいます。

(デーメートリオスが)プトレマイオスの同盟者であるロドスの人々と戦争をした時は、最も大きなヘレポリスをその城壁のところへ持ち出したが、その台座は正方形で底面の各辺は48ペーキュス(22mほど)、高さは66ペーキュス(30mほど)あって、底から頂きにいくほど狭くなっていた。ところでその内部は数多くの階と部屋に分かたれ、敵のほうに向っている面には各階に窓を開けてそこからあらゆる種類の飛び道具が発射され、あらゆる種類の戦闘を心得た兵士で満たされていた。


プルータルコス「デーメートリオス伝」21節 河野与一訳 より。(ただし、旧漢字、旧かなづかいは、現代のものに改めました。)



このロドス包囲戦のある時、デーメートリオスは当時の有名な画家であるプロートゲネースの作品「イアーリュソス」を手に入れたといいます。この「イアーリュソス」は、イアーリュソス市を創建した伝説上の人物イアーリュソスを描いたものです。

ちょうどその頃カウノスの人プロートゲネースが描いていたイアーリュソスの物語の絵がもう少しで完成するまでになっていたのを、デーメートリオスはこの町の郊外で手に入れた。ロドスの人々は使いを送って、その作品を大事にして破らないでくれと頼むと、デーメートリオスは自分の父の肖像を焼くとしても、これほど骨折った芸術品は焼かない、と返事した。実際、プロートゲネースはこの絵を完成するのに7年かけたと言われている。


プルータルコス「デーメートリオス伝」22節 河野与一訳 より。(ただし、旧漢字、旧かなづかいは、現代のものに改めました。)

プロートゲネースは大陸側のカーリアのカウノスの生れでしたが、当時はロドス市に住んでいました。上の引用からすると、ロドス市の城壁の内側ではなく、その郊外に住んでいたのでしょうか? 別の説では(どうも後世のローマの文筆家プリニウスが「博物誌」に書いているらしいですが、私は確認していません。)、プロートゲネースがこの時描いていたのは「イアーリュソス」ではなくて「休むサテュロス」という絵で、この説によればプロートゲネースがこの絵を製作している場所が戦場になってしまったが、彼は絵の製作を止めなかったそうです。そこでデーメートリオスはわざわざ彼のところへ訪ねていき、兵の一部を割いて、プロートゲネースを守らせた、ということです。


絵画「イアーリュソス」については、当時プロートゲネースと並び称されるアペレースもその絵の出来に、驚嘆したそうです。

アペレースもこの作品を見た時ひどく驚嘆してしばらく声が出ず、だいぶたってから「大した苦心で、すばらしい作だ。」と言ったが、自分の描いた絵の名声を天にまで届かせているあの味がないと言っていた。


(同上)


ロドス市は最後まで陥落しませんでした。やがて休戦条約が結ばれ、デーメートリオスの軍勢は引き上げていきました。

ロドスの人々は頑強に戦争を続けたので、撤退の口実が見当たらずにいたデーメートリオスは、アテーナイから来た使節の調停により、プトレマイオスを敵とする場合を除いてロドスの人々がアンティゴノスおよびデーメートリオスの同盟者になるという条件で講和を結んだ。


(同上)


絵画「イアーリュソス」はその後もロドス市に保管され、ロドス市がローマの支配下になってもキケロの時代までロドス市にあったそうです。その後ローマ市に持っていかれ、「平和の神殿」というところに展示されたが、そこで火事に会い、焼失してしまったということです。