神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テーラ:目次

1:はじめに

今度は、キクラデス諸島の南部、ドーリア人の島テーラを取り上げることにします。キクラデス諸島のドーリア人の島としてはほかにメロス島(ミロのヴィーナスの出土地)などがあります。テーラは現代の発音ではティラというのだそうですが、日本ではサントリーニという別名のほうがよく知られて・・・・


2:テーラースの植民

ドーリス人がペロポネーソス半島に侵入した時の話です。ペロポネーソスのスパルタを手に入れたのはヘーラクレースの後裔アリストデーモスでした。彼はアルゲイアーをめとってエウリュステネースとプロクレースの双子を得ましたが、子供たちがまだ幼いうちに死んでしまいました。そこで・・・・


3:エウローペーを探すカドモス

フェニキアの王アゲーノールにはポイニクス、キリクス、カドモスという3人の息子と、エウローペーという娘がいました。このエウローぺーが美しい少女へと成長した時に、神々の王ゼウスがオリュンポス山の頂にある神々の宮殿から地上を眺め渡し、彼女に目を止めたのでした。・・・・


4:ミニュアイ人たち

テーラースがテーラに植民したところに話を戻します。テーラースはこの時、スパルタで政府に反抗していたミニュアイ人たちを一緒に連れていきました。ミニュアイ人というのはオルコメノスやという町を拠点とする人々のことですが、アルゴー号の乗組員(ギリシア語でアルゴナウタイといいます)もなぜか・・・・


5:バットス

テーラではその後、街づくりが順調に進んでいったようです。残念ながらテーラースの一行がテーラを建設して(BC 9世紀と推定されています)からBC 630年頃までの出来事は今に伝わっていません。そこで話をBC 630年頃まで進めます。この頃、テーラではテーラスの子孫であるグリンノスが・・・・


6:キューレーネー植民の裏側

さて、キューレーネーが繁栄したため、この植民の物語はハッピーエンドで終わっているように見えますが、仔細に見ていくとなかなか深刻な状況だったように見えてきます。たとえば、前回の「テーラ(5):バットス 」で、リビアを偵察するためにプラテア島に向かったテーラの人々が、・・・・


7:その後のテーラ

BC 6世紀、テーラはギリシア本土のアテーナイやコリントスと、エーゲ海東岸のイオーニア地方あるいはそれに近いロドス島、とを結ぶ貿易の中継点として栄えました。BC 515年にスパルタの王子ドリエウスがリビアに植民市を拓こうとした時にその水先案内人を務めたのはテーラ人でした。・・・・


8:アクロティリ

このテーラに関する物語の最初で昔テーラが大きな島であって、それが火山の大爆発によって今の形になったという話を紹介しました。この大爆発の時にまだテーラにはギリシア人は来ていませんでした。その爆発は最近の説ではBC 1628年に起こったと推定されています。こんなに正確な年代が推定出来るのは・・・・


9:最終回:アトランティス?

この頃のテーラについて、ギリシア側の伝承は何かないのでしょうか? まず思いつくのはヘーロドトスが記している以下の記事です。現在テラと呼ばれている島は、以前はカリステと呼ばれていたがこれは同じ島で、当時はフェニキア人ポイキレスの子メンブリアロスの子孫が居住していた。・・・・