2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧
メーテュムナ:目次へ ・前へ アテーナイが降伏したあとのメーテュムナについてはよく分かっていないようです。英語版のWikipediaにはこう書かれていました。 BC 4世紀のメーテュムナの歴史に関する私たちの知識は限られていますが、都市としてのその名声は…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ 国外追放された人々は富裕な人々であったので、その富で兵士を募集したのち、翌年、主導権奪回のためにメーテュムナへ攻めてきました。 メーテュムネー市民の中で、追放刑に附されて町を追われていた、とりわけ富裕な一…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ その後もペロポネーソス戦争は続きます。アテーナイはシケリア島(今のシシリー島)の都市シュラクーサイ(今のシラクサ)を攻撃するために大軍を派遣しましたが、メーテュムナもこの攻撃に参加しました。しかしこの大軍…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ その後メーテュムナはアンティッサを逆に攻めましたが、アンティッサに迎撃され撤退しました。 かれらが撤兵すると、対してメーテュムネー人も兵を繰りだしてアンティッサを攻撃した。だが城内からの迎撃に遭い、アンテ…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ ペロポネーソス戦争は、アテーナイを中心とするデーロス同盟諸国とスパルタを中心とするペロポネーソス同盟諸国の間で戦われた戦争です。この戦争はBC 431年から404年まで30年近くにわたって続きました。メーテュムナは…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ BC 490年、ペルシア王ダーレイオスは軍を派遣してギリシア本土のアテーナイを攻撃しましたが、撃退されました。BC 480年にはダーレイオスの跡を継いだクセルクセース王が自ら陸海軍を率いて再度ギリシア本土に侵攻しまし…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ ペルシアの初代の王キューロスの時にペルシアに服属したメーテュムナでしたが、キューロスの次にペルシア王になったカンビュセースがエジプトを征服する時、その軍の中に、レスボス島のミュティレーネーの船があったこと…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ 前回の「(5):ディオニューソス神の顕現」では、小説「ダフニスとクロエー」の中でメーテュムナに関係して、前回紹介したディオニューソスと海賊たちの話と似たような情景が登場することを述べましたが、それは以下の…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ 前回の「(4):アリオーン」について英語版のWikipediaにちょっと面白い記事があったのでご紹介します。そこでは、このアリオーンの伝説に関連があると思われる神話としてホメーロス風讃歌の中の「ディオニューソスへ…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ アリオーンはBC 7世紀末か6世紀初頭に竪琴奏者として活躍したメーテュムナの人です。 アリオンは当時彼に比肩するものなしとされた竪琴(キタラ)弾きの歌い手で、われわれの知る限りではディテュランボスの創始者で命名…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ 伝説によれば、レスボス島にギリシア人(その一派であるアイオリス人)がやって来たのはトロイア戦争が終わってかなり経ってからになります。BC 1世紀の地誌学者ストラボーンは以下のように書いています。 実際、アイオ…
メーテュムナ:目次へ ・前へ ・次へ ところで「(1):起源」で引用したイーリアスの一節「上(かみ)はマカルの住居というレスボスから、陸(みち)の奥(く)はプリュギエー、涯(はてし)を知らぬヘレースポントスが仕切る限りの国々」は、前後の文脈か…
メーテュムナ:目次へ ・次へ ギリシアの古典期(BC 5世紀ごろ)、レスボス島には5つの都市国家(ポリス)がありました。ミュティレーネー、アンティッサ、ピュラ、エレソス、メーテュムナの5つです。この中でミュティレーネーについては以前記事をアップ…
都市一覧へ 1:起源 ギリシアの古典期(BC 5世紀ごろ)、レスボス島には5つの都市国家(ポリス)がありました。ミュティレーネー、アンティッサ、ピュラ、エレソス、メーテュムナの5つです。この中でミュティレーネーについては以前記事をアップしました…