神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エピダウロス:目次

1:起源

エピダウロスは保存状態のよい古代ギリシア劇場の遺跡で有名で、その遺跡は観光地になっています。この遺跡を利用して今でもギリシア悲劇が上演されています。また、その近くには医神アスクレーピオスの神殿(アスクレーピエイオン)や、アスクレーピオスの神力にすがった病人たちを宿泊させる建物などの遺跡があります。これらの遺跡があるところは内陸に入ったところですが、古代のエピダウロスの中心地はもっと海岸沿いにありました。ここは今でも町になっており、町の名前はパライア・エピダヴロス・・・・


2:アスクレーピオス

エピダウロスは医療の神アスクレーピオスの信仰の中心地でした。広く伝わっている伝説によればアスクレーピオスは北方のテッサリアの出身ということになっていますが、エピダウロスの伝説ではアスクレーピオスはエピダウロスで生まれたことになっています。通常の伝説ではアスクレーピオスの誕生は以下のように語られます。ある日、アポローン神はテッサリアに美しい娘がいるのを見つけました。娘の名前はコローニスといい、土地の領主プレギュアースの娘でした。アポローン神はコローニスを恋人に・・・・


3:トロイア戦争

ホメーロスイーリアスでは、トロイア戦争に参加するアスクレーピオスの息子たちが以下のように登場します。さてその次はトリュッケーや 嶮しい丘のイトーメーを領する者ら、またオイカリア人エウリュトスの城 オイカリアを領する者ども、
その人々を率いるのは アスクレーピオスが二人の息子ら、すぐれた腕の医師(くすし)である ポダレイリオスと さらにマカーオーン、この両人に随(つ)き、三十艘の 中のうつろな船々が 陣にならんだ。ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より・・・・


4:デーイポンテース

古典時代(BC 5~4世紀)にはエピダウロスはドーリス人の町でした。しかし伝説によれば以前はイオーンの子孫のピテュレウスがエピダウロスの王位にあり、住民もイオーニア人でした。ピテュレウスはエピダウロスのイオーニア人の最後の王になりました。ドーリス人がペロポネーソスに到着する前の最後の王は、クスートスの子イオーンの子孫であるピテュレウスであり、彼が戦いなしにデーイポンテースとアルゴス人に土地を譲ったと彼らは言います。パウサニアース「ギリシア案内記」2.26.1より ドーリス人が・・・・


5:植民活動

エピダウロスの東側はサロニコス湾という海ですが、この湾の中にアイギーナという島があります。いつの頃からか分かりませんが、エピダウロスはアイギーナをも支配するようになりました。その後、アイギーナはエピダウロスと戦って独立しますが、ここではまだそこまで話を進めません。エピダウロスがアイギーナを支配していたことは歴史家ヘーロドトスが記しています。さてアイギナは、それ以前から当時に至るまでエピダウロスに従属しており、アイギナ人は自分たちの間の訴訟事件も、エピダウロスへ・・・・


6:アイギーナの離反

エピダウロスはアイギーナ島も支配下に治めていましたが、アイギーナの人々は広く交易することで裕福になり、エピダウロスの政府の指示に従うことを苦痛に感じるようになりました。当時のエピダウロスの政府の性格はよく分かりませんが、おそらく王権はすでに衰退し、古くからの土地貴族たちによる貴族政の政府であったと想像します。土地を基盤とする、つまり農耕牧畜を基盤とするエピダウロスの貴族たちとアイギーナの商人たちの間には意識の違いがあり、いろいろ軋轢が出てきたと想像します。そこでとうとう・・・・


7:プロクレース

BC 7世紀頃からギリシアの各地で僭主が現われました。僭主というのは、非合法に政権を握った君主のことで、普通、商人階級の支持を受けて、昔からの土地貴族の力に対抗しました。ヘーロドトスによればエピダウロスにもかつて僭主が少なくとも一人はいたということです。その僭主の名前はプロクレースと言います。彼が僭主になった頃、エピダウロスの近くのコリントスではすでにキュプセロスが貴族制を打倒して僭主になっていました。プロクレースはキュプセロスと同盟を結ぶために自分の娘メリッサを・・・・


8:ペルシア戦争

ペリアンドロスの次には甥のプサンメティコスが後を継ぎましたが、3年で政権から追われました。おそらくこの時にエピダウロスコリントスの支配から脱することが出来たようです。コリントスの支配を脱した後のエピダウロスは、貴族制に戻りました。これがいつ頃のことかといいますと、ペリアンドロスの死がBC 585年頃とされているので、エピダウロスが貴族制に復帰したのもその頃ではないかと推測しています。その後のエピダウロスについては、100年もあとの第2次ペルシア戦争(BC 480年)にエピダウロスが・・・・


9:アスクレーピエイオン(1)

ペルシア戦争後、エピダウロスはスパルタを中心とするペロポネーソス同盟に参加します。これと対立するのがアテーナイを中心とするデーロス同盟でした。両陣営はBC 431年に、全面的な戦争に突入します。この戦争の開始の翌年、流行病がアテーナイに発生します。当時のアテーナイは、敵襲に備えて郊外の住民を城壁で囲まれた市内に収容していたために過密状態であったので、多数の人間がこの病のために倒れました。そこで、アテーナイ政府かそれとも個人なのか分かりませんが、エピダウロスから病気治療の神アスクレーピオスを・・・・


10:アスクレーピエイオン(2)

蛇はアスクレーピオスにまつわる聖なる生き物でした。日本的に考えれば「神のお使い」のようなものでしょうか。そのため、蛇によって病を癒されたと主張する碑文もあります。蛇に足の指の治療をされた男(SIG 1168 112-119) 彼は足の指に広がる悪性潰瘍のため体調がひどく悪く、日中神域の召使いたちに外に運び出され、安楽椅子に座っていた。彼が眠りに襲われると、一匹の蛇がアバトンから出てきて、舌で彼の指を治療し、その後またアバトンへ戻っていった。彼が目を覚まして元気になった時、自分は夢を見た・・・・


11:その後のエピダウロス

エピダウロスは独立した都市国家としての命運は尽きていましたが、アスクレーピエイオンの霊験についての名声はその後長く続きました。エピダウロスがローマの支配下に入っても、その名声は続いていました。話はエピダウロスから離れてしまいますが、アスクレーピオスとエジプトの神イムホテプの関りについて、ここで少しご紹介したいと思います。エジプトの神イムホテプは、歴史上のエジプト人でした。彼が生きていた時代はBC 27世紀という(古代のギリシア人にとっても想像がつかないような)とてつもない昔のことです。・・・・