2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
カルキス:目次へ ・前へ ペロポネーソス戦争の末期にカルキスを始めとするエウボイア島の諸都市はアテーナイの支配から離脱することに成功しました。BC 404年にはアテーナイがスパルタに降伏します。 それからずっと時代を下ったBC 323年、古代ギリシアの大…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ カルキスはサラミースの海戦に20隻の軍船で参加します。この海戦ではギリシア側が快勝しました。ペルシア王クセルクセースはアテーナイを占領し、小高い山に玉座を据えて観戦していたのですが、自軍の敗北が明らかになると…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ BC 480年、ペルシアは再びギリシア本土に進攻してきます。今回はダーダネルス海峡(当時の呼び方ではヘレースポントス海峡)を渡り、今のブルガリア経由で、北から攻めて来たのでした。ギリシア軍は陸上部隊はテルモピュライ…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ カルキスとエレトリアが交易活動でかつて主役を務めていた証拠のひとつとして、古典期のギリシアで使われていた重さ単位が「エウボイア・タラントン」と呼ばれていたことが挙げられます。重さの単位は価値の単位でもありまし…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ レーラントス戦争で戦死したカルキスの王らしきアンピダマースの葬礼に伴う競技において、詩人のヘーシオドスが歌競べの競技に優勝したことを「6:レーラントス戦争(1)」で紹介しました。これについては後世の資料で信ぴ…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ レーラントス戦争の同時代人の証言としては、ヘーシオドスのほかに、彼よりあとに生れた詩人アルキロコスがいます。彼の次の詩の断片は、レーラントス戦争のことを唱っている可能性があるそうです。 アレスが平野で戦闘を交…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ このように当時のギリシアのなかでも飛びぬけて繁栄していたらしいカルキスとエレトリアですが、BC 710年頃、この両者が互いに戦うことになります。戦争の原因はレーラントス平野の領有権でした。それまで両者が共同で使用し…
カルキス:目次へ ・前へ ・次へ カルキスの南と東には、レーラントス平野という平野が広がっています。日本のウィキペディアの記述では「レラントス平野は農業に適しており、ギリシアでは肥沃な土地は希少なものであった。」とか「豊かなレラントス平野」(…