1:ホメーロス終焉の地
イオス島の位置を下の地図に示します。イオス島は、ホメーロスの「イーリアス」にも「オデュッセイアー」にも登場せず、ヘーロドトスの「歴史」にもトゥーキュディデースの「戦史」にも1回も登場しないので、私のような者がイオス島について何か書くというのは無謀な試みだと思っています。それでも私の中で「書け」という声が強いので、何とか書いていこうと思います。古代のイオス島についての神話・伝説のたぐいで、私が知ることが出来たものは唯一ホメーロスにまつわる伝説だけです。この伝説に関連して、ホメーロスの母親がイオス島の出身である、という伝説もあります。とはいえ・・・・
2:クリテーイス
前回ご紹介したホメーロスに関する伝説は、今に伝わる形になったのはAD 2世紀と推定されていますが、元になった記事はBC 4世紀までさかのぼるらしいです。さて、この伝説の中で、ホメーロスに与えられたデルポイの神託は、ホメーロスの母親についてイオス島の出身である、と告げていました。母の生国はイオスの島、なんじみまかる時その身はこの島に引き取らるべし。さりながら幼き子らのかける謎には心せよ。岩波文庫の、ヘーシオドス著「仕事と日」の収録された「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」 松平千秋訳 より。ホメーロスの母親の名前はクリテーイスという名前だったと・・・・
3:島の歴史
ギリシアの暗黒時代を抜けたあと、BC 8世紀にはイオスはイオーニア人の島でした。おそらくは近隣の島々と同じようにデーロス島を神聖視していたことでしょう。ホメーロス風讃歌のなかの「アポローンへの讃歌」ではデーロス島の祭に集うイオーニア人たちの姿が歌われていますが、その中にイオスから来た人々もいたことでしょう。その地(=デーロス)には、裳裾ひくイオニア人が、自分たちの子供や貞淑な妻を伴い集まりつどう。彼らはあなた(=アポローン神)を記念して競技の場を設けては、拳闘に、舞踊に、歌にと、あなたを喜ばせる。イオニア人がつどう場にいあわせた者は・・・・
4:エーゲ海のピラミッド
イオス島にあるスカルコス遺跡はキュクラデス文明の遺跡です。キュクラデス文明は4期に分かれていて、古いものから順に、グロッタ・ペロス文化、ケロス・シロス文化、カストリ文化、フィラコピ文化、という名前が付けられています。このスカルコス遺跡はケロス・シロス文化に属するもので、時代はBC 2700~2300年と推定されています(学者によって絶対年代の推定は異なります)。エジプトで言えば古王国時代、トロイアで言えばトロイアⅡに当ります。そこは1984~1997年に発掘され、非常に保存状態のよい都市が見つかりました。そこには2階建ての建物が並び、各建物には中庭が設けられて・・・・