神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スミュルナ:目次

1:リュディア人のスミュルナ

スミュルナは、トルコ第3の都市イズミールにかつてあったギリシアの植民市です。現在の地名イズミールも、元の名前スミュルナに由来するそうです。このスミュルナの起源ですが、ギリシア神話ではアマゾーン族の一人スミュルナという女性がこのスミュルナを創建したとしています。また、エペソスの地区の中にスミュルナという地区があるそうで、・・・・


2:リュディア人のウンブリア移住

ヘーロドトスはその「歴史」のなかで、リュディアには3つの王朝があったと述べています。最初の王朝はアテュスの子リュドスが開いたもので、リュディア人の名はこのリュドスに由来すると述べます。その王朝が何年続いたのかをヘーロドトスは述べていません。次の王朝はヘーラクレースの子孫にあたるアグロンが開いたもので、22代505年間続いたといいます。・・・・


3:アイオリス人の到来

ギリシア人でスミュルナに植民したのは、ギリシア人の一派であるアイオリス人でした。しかし、その植民に関する物語を、残念ながら私は見つけることが出来ませんでした。さて、スミュルナはアイオリス人の都市連合の一員となりました。その都市連合にはまずアイオリス人の町の中で一番大きいキューメーが属し、そのほかにラリッサ、ネオン・テイコス・・・・


4:ホメーロス

もっとも、ホメーロスを自分の町の出身だと主張する町はスミュルナ以外にも多くありました。古代のホメーロスの伝記のひとつには次のように書かれているということです。さてホメーロスを、ピンダロス Pindaros はキオス Chios の人、スミュルナ Smyrna の人と言い、シモーニデース Simonides はキオスの人、アンティマコス Antimachos と・・・・


5:スミュルナの市壁

英語版Wikipediaの「Fortifications of ancient Smyrna。古代スミルナの要塞」によると、スミュルナはBC 9世紀から頑丈な壁に囲まれていました。これはこの時代では比較的まれなことだったそうです。そのように頑丈な市壁(城壁というべきでしょうか?)に守られたスミュルナだったのですが、ある時に他国の者たちに占領されてしまいました。それは、このようなことがあったからです。・・・・


6:荒廃と復興

スミュルナ占領に失敗したリュディア王ギュゲースは、その後、北からやってきた遊牧民のキンメリア人と戦って死にました。キンメリア人はその後西へと進んでエーゲ海岸沿いを襲撃していくのですが、スミュルナがキンメリア人に襲われたのかどうか、英語版のWikipediaを調べても分かりませんでした。ヘーロドトスもそのことについては何も書いていません。キンメリア人が南のエペソスを襲撃したのは確かです。・・・・


7:ミムネルモス(1)

スミュルナには、アレクサンドロス大王の指示によって建設された新スミュルナと、それまでの旧スミュルナの2つの町がありました。今回は旧スミュルナの盛期を生きたスミュルナ人のひとりをご紹介します。詩人のミムネルモスは、後世の人名辞典スーダによれば、第37オリンピアード(BC 632〜29年)に盛りを迎えていたということですので、その時40歳だったとすれば・・・・


8:ミムネルモス(2)

ネムルモスより約300年後の、エジプトのアレクサンドリアに集まったギリシア人の学者たちは、往古の詩人たちの詩集を編纂したのですが、ミネムルモスの分は2冊の本にしかなりませんでした。ステーシコロスという詩人の分は26冊もあったということです。ここから推測するに、ミネムルモスは寡作の詩人だったようです。この2冊の本のうちの1冊が「ナンノ」という名前を付けられました。・・・・


9:女神ローマの発明

スミュルナには、アレクサンドロス大王の指示によって建設された新スミュルナと、それまでの旧スミュルナの2つの町があったのでした。旧スミュルナについては代表的な人物として詩人のミムネルモスをご紹介しました。そこで新スミュルナについても何か代表になりそうな人物を探したのですが、私の探し方が悪いのか、適当な人物が見つかりませんでした。そこで、・・・・