2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧
都市一覧へ 1:起源 コロポーンは小アジアのイオーニア地方にあった町です。コロポーンというのは頂上という意味だそうです。この町のそばには神託の神アポローンの聖所クラロスがありました。BC 7世紀のコロポーン出身の詩人ミムネルモスによればコロポー…
ポーカイア:目次へ ・前へ 前回、自分の理解の届く範囲内で何とかパルメニデースの思想を紹介したつもりでしたが、その後Wikipediaを読んでいて、プラトーンの「テアイテトス」の中でソークラテースがこんなことを言っていたのを知り、少し後悔しました。 …
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ 「昼」(真実の世界)と「夜」(通常の人間の認識の世界。迷妄の世界)とを分かつ門を通って、パルメニデースを載せた馬車は「夜」の世界から「昼」の世界へ進みます。 さてここに女神のいまして ねんごろに私を迎え わが…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ 話を、BC 545年のペルシアによる最初のポーカイア侵攻に戻します。この時ポーカイアの町を捨てたポーカイア人たちは最初、コルシカ島の植民市アラリアに移住し、その後、カルキスが建てたイタリア半島のつま先にある植民市…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ このようにイオーニア軍内で内輪もめが起ったのですが、この暗雲はさらに広がることになりました。イオーニア諸都市のひとつであるサモスの司令官はこの戦いは負けると踏んで、戦いが始まったならば戦場を放棄する決心をし…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ 40年余り、ペルシアの支配下でおとなしくしていたポーカイアでしたが、BC 499年に南のミーレートスが首謀者になってペルシアに対して起こした反乱にはポーカイアも参加しました。後世イオーニアの反乱と呼ばれた反乱です。…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ ポーカイア人たちが国を捨てた行動は、後世の人々にも大きな印象を与えたようです。この事件の500年後、ローマの詩人ホラティウスは、自作の詩の中で、ポーカイアの人々が町を捨てたように、首都ローマを捨てるように人々…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ (上:現在のポーカイア(現在名:フォッチャ)) さて、元々ポーカイアをはじめとするエーゲ海東岸のギリシア都市はリュディア王国の支配下にありました。しかしリュディア王国は、BC 546年にペルシアによって滅ぼされて…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ ポカイア人はギリシア人の中では遠洋航海の先駆者であり、アドリア海、テュルセニア、イベリア、タルテッソスなどを発見したのもこのポカイア人である。彼らは航海には丸形の船を用いず、五十橈船を用いた。 ヘロドトス著…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ ポーカイアが建設されてから200年ぐらいの歴史はよくわかりません。その後のことになりますが、信頼性の低い伝説として、「イーリアス」と「オデュッセイアー」を作ったと言われる伝説的な叙事詩人ホメーロスが一時期、ポ…
ポーカイア:目次へ ・前へ ・次へ ポーカイアに植民した人々の故郷であったポーキスは、神話によればポーコスという人物が開発した(または征服した)とされており、このポーコスにちなんでこの地方をポーキスと呼ぶことになった、ということです。このポー…