神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

リンドス(2):ヘーリアダイとダナオス

さて、テルキーネスたちには妹がいて、名をヘーリアーといいます。このヘーリアーという名前は、太陽(=ヘーリオス)の女性形です。そう考えるとヘーリアーとは、日本神話のアマテラスみたいな神格なのかもしれません。ただ残念なことにヘーリアーについてはあまり話が伝わっていません。ヘーリアーはのちに海中に身を投じて、レウコテアーという海の女神になった、という伝えがあります。私は唐突に太陽の女性形の名前が登場することを、不思議に思います。そこには忘れ去られた古い神話があったのではないか、と想像します。海と太陽の女神とはどのような関係があったのでしょうか。(おそらくは単なる偶然なのでしょうが)私は日本神話におけるアマテラスのアマという言葉が「天」を意味すると同時に「海」をも意味する言葉であったことを、思い出さずにはおられません。 


ヘーリアーは海の神ポセイドーンとの間に子を儲けました。娘が1人と息子が6人でした。娘の名前はロドスといい、この娘の名にちなんでこの島はロドス島と名付けられました。


いやいやそうではなくて、ポセイドーンと(ポセイドーンの正妃)アンピトリテーの娘ロデーにちなんでロドスと名付けられた、という人々もいます。このあたりははっきりしません。


このロドス、またはロデーが太陽神ヘーリオスと結婚してロドス島で生まれた子供たちを総称してヘーリアダイと言います。

(太陽神ヘーリオス


ヘーリアダイは7人の息子たちでした。彼らは太陽神の息子たちということで、優れた天文の知識を持っていました。なかでも長男のテナゲースは一番優れた知識を持っていました。それを4人の弟たちがねたんでテナゲースを殺してしまいました。そして彼らはロドス島から逃亡しました。弟のなかで殺人に加わらなかった者が2人いて、オキモスとケルカポスといいます。兄のオキモスがロドス島の王となりました。のちにケルカポスはオキモスも娘キューディッペーと結婚し、オキモスからロドス島の王位を引き継ぎました。ケルカポスとキューディッペーの間には、リンドス、イアーリュソス、カメイロスの3人の息子が生れました。この3人はそれぞれ町を建設して、その町に自分の名を付けました。ということでリンドスの創建者は、ケルカポスの子であり、太陽神ヘーリオスの孫であるリンドスということになります。


さて、その後、リンドスの町にどのようなことが起きたでしょうか? 伝説によれば、エジプトからダナオスとダナオスの50人の娘たちがリンドスにやってきたことになっています。


ダナオスはエジプトで生まれていますが、その祖先はギリシアペロポネソス半島アルゴスの町の出身だといいます。アルゴス地方を流れるイーナコス河の神イーナコスの娘イーオーがその祖先でした。イーオーは神々の王ゼウスに愛されましたが、そのためにゼウスのお妃のヘーラーに迫害されました。そのためイーオーは牛の姿で世界中をさまようことを余儀なくされ、最後にエジプトにやってきた時に人間の姿に戻り、そこでゼウスの子エパポスを産みました。エパポスは成人するとエジプトの王になり、娘リビュエーを得ました。彼女の名前からリビアという土地の名前が出来ました。このリピュエーが海の神ポセイドーンと結婚して、アゲーノールとベーロスが生まれます。ベーロスがエジプト王になります。ベーロスにはアイギュプトスとダナオスの2人の息子が生まれました。このアイギュプトスというのはエジプトのことです。エジプトを古代のギリシア語でアイギュプトスと言うのです。神話ではアイギュプトスの名にちなんでその土地をアイギュプトス(エジプト)と呼ぶようになったといいます。


このアイギュプトスには50人の息子がいました。弟のダナオスには50人の娘がいました。50人の息子たちが50人の娘たちにそれぞれ結婚を申し込んだところ、娘たちはそれを拒絶して、ダナオスを中心にしてエジプトから出て行き、祖先の故郷のアルゴスに向ったのでした。当時はまだ人類は船というものを知らなったのですが、女神アテーナーがダナオスに船の作り方を教えたということです。


ダナオスと50人の娘たちが船でエジプトからアルゴスに向かう途中で、ロドス島に立ち寄り、アテーナー・リンディアの神殿を建設したということになっています。

リンドスのアテナ神殿が、アイギュプトスの息子たちを逃れてこの地に立ち寄ったダナオスの娘たちによって建立されたという伝承があった・・・


ヘロドトス著「歴史」巻2、182 から