2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧
エリュトライ:目次へ ・前へ ・次へ エリュトライのシビュラが生れたのはトロイア戦争より前でしたが、イオーニア人がエリュトライに植民したのは、トロイア戦争よりあとのことでした。すると、イオーニア人が来る前にはエリュトライはどうなっていたのでし…
エリュトライ:目次へ ・次へ エリュトライはイオーニア12都市の1つで、海を挟んでキオスの島と対峙しています。 (上:イオーニア12都市の位置) (上:エリュトライ付近の地図) エリュトライについてはあまり情報がありません。それでも後世、ルネッサンス…
都市一覧へ 1:エリュトライのシビュラ エリュトライはイオーニア12都市の1つで、海を挟んでキオスの島と対峙しています。エリュトライについてはあまり情報がありません。それでも後世、ルネッサンスになってから有名になった伝説があります。それは「エリ…
ピュロス:目次へ ・前へ ピュロスのメッセーネー人が町を捨てたのは、ヘイラ山の砦がスパルタ軍によって陥落した時でした。 ピュロスとモトネーの人々、および沿岸地域に住んでいた全ての人々は、ヘイラ占領に際して船で撤退し、エーリス人の港であるキュレ…
ピュロス:目次へ ・前へ ・次へ ネーレウス家の人々(ネーレイダイ)がドーリス人たちによってピュロスから追い出されたあと、ピュロスには人は住まなくなったのでしょうか? それともピュロスはドーリス人の町になったのでしょうか? 伝説はその後のピュロ…
ピュロス:目次へ ・前へ ・次へ 古典時代のギリシアにはピュロス王ネーレウスの子孫(ネーレイダイ)を主張する家柄があちこちにありました。有名なものはアテーナイの名門貴族の一族アルクマイオニダイです。彼らは、ネーレウスの子ネストールの子トラシュ…
ピュロス:目次へ ・前へ ・次へ 前にもお話ししたように、線文字B粘土板は、宮殿の火事によって偶然に焼き固められたのであり、そのことによって現代まで形を留めることが出来たのでした。考古学的な証拠から、ピュロスだけでなくギリシア本土の各地の宮殿…