神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ネオン・テイコス


ネオン・テイコスというのは古代のギリシア語で「新しい壁」という意味です。しかし「新しい」という名がついていてもこの町の起源はキューメーと同じくらい古い町です。ネオン・テイコスはキューメーと同じくアイオリス人の町です。ネオン・テイコスの位置を下に示します。


ネオン・テイコスの町の起源についてストラボーンは以下のように述べています。

テルモピュレーの上にそびえるロクリスの山プリキオンから出発した人々が、現在キューメーがある場所に定住したと言われています。そして彼らはトロイア戦争で大きな被害を受けたペラスゴイ人がキューメーから約 70 スタディオン離れたラーリッサにまだ住んでいることを知り、彼らに対する護りとして、今のラーリッサから 30 スタディオンのところに、今ネオン・テイコス (新しい壁) と呼ばれているものを築きました。


ストラボーン「地理誌」13.3.3 より

ラーリッサものちにアイオリス人の町になるのですが、この頃はペラスゴイ人(これはギリシア民族とは別の民族と推定されています)の町だったようです。そのラーリッサに住むペラスゴイ人との抗争に備えるための砦として建設されたのがネオン・テイコスだったようです。ところでこの抗争の背景を考えると、もともとペラスゴイ人が住んでいたところにアイオリス人が侵入して町を建設し出したのですから、ペラスゴイ人がアイオリス人に敵意を持つのは仕方がありません。そうはいってもそういう理が通らないのがこの時代のギリシア人でした。この頃のギリシア人にとって自分たちの植民活動は自然な活動なのでしたが、往々にしてそれは侵略と区別がつかないものになってしまうのでした。この地方にはその後多くのアイオリス人の植民市が建設され、土地の名前もやがてアイオリスという名前で呼ばれるようになっていくのです。


ネオン・テイコスについて知られていることはほとんどありません。ネオン・テイコスについて私が見つけた記事は、上に紹介したストラボーンの記事のほかには、信憑性の低い、偽ヘーロドトスによる「ホメーロス伝」にネオン・テイコスの靴屋が登場するというものぐらいしかありません。

ホメーロスは)ヘルモス平野を旅して、キュメの植民都市、ネオン・テイコスへ着いた。この地へ植民が行われたのは、キュメ創設から八年後のことである。彼はこの町でさる靴屋の店先に立つと、自分の最初の作詩を朗唱したという。


施しもなく住む家にも事欠く男を憐れみ給え、
高く聳えるサイデネの山端の辺り、
キュメの麗わしき娘、険しき砦に住い、
不死なるゼウスの生み給える聖なる河、
渦を巻くヘルモスの、この世ならぬ霊水を日々口にする方々よ。


 サイデネというのは、ヘルモス河とネオン・テイコスの上に聳える山の名である。靴屋は名をテュキオスといったが、メレシゲネス(=ホメーロスの本当の名前とされる)の唱した歌を聞いてこの男を家へ迎えてやる決心をした。盲目の身で物乞いしているのを憐れんだからである。そこで彼に自分の仕事場へ入ってそこにあるものを好きに取ってよいといった。メレシゲネス(=ホメーロス)は中へ入り、他の人々もいる仕事場に坐ると、『アンピアラオスのテパイ遠征』や自作の神々への讃歌などの詩を一同に披露し、さらにその場にいる者たちが話題にしている事柄について警抜な意見を述べ、それを聞いた一同を、これは並々ならぬ人物であると感服させた。

 メレシゲネス(=ホメーロス)は暫くの間、詩によって暮しを立てながら、ネオン・テイコスの辺りに逗留していた。私(=偽ヘーロドトス)の時代になっても、ネオン・テイコスの住民たちは、メレシゲネスがいつも坐って詩を朗唱していた場所を見せてくれたし、その場所を非常に大切にしていた。そこにはポプラの木が生えているが、土地の人の話では、メレシゲネスがこの地へ来た時代からのものだという。


古代ギリシア案内 ホメロス伝 伝ヘロドトス:バルバロイ(Βαρβαροι!)」より

この「ホメーロス伝」の信憑性はあまりないということですが、「ネオン・テイコスの住民たちは、メレシゲネスがいつも坐って詩を朗唱していた場所を見せてくれたし、その場所を非常に大切にしていた。」というところだけは、ありそうなことのように思えます。本当にホメーロスがそこで詩を朗唱していたかどうかは別として、そのような伝説があった、ということは認めてやってもよいように思えます。


本物のヘーロドトスがネオン・テイコスについて述べているのは、その名前だけです。

以上がイオニアの諸市であるが、次にアイオリスの町としては、プリスコスの異名のあるキュメ、レリサイ(ラリッサ)、ネオン・テイコス、テムノス、キラ、ノティオン、アイギロエッサ、ピタネ、アイガイオイ、ミュリナ、グリュネイアがある。これら11の町は古くからアイオリスの町であった。数が11であるのは、その1つであったスミュルナが、イオニア人によって切り離されてしまったからで、もとは大陸のアイオリス都市は12あったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、148 から


私がネオン・テイコスについて述べることが出来ることは以上です。