神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コロポーン:目次

1:起源

コロポーンは小アジアのイオーニア地方にあった町です。コロポーンというのは頂上という意味だそうです。この町のそばには神託の神アポローンの聖所クラロスがありました。BC 7世紀のコロポーン出身の詩人ミムネルモスによればコロポーンの人々はペロポネーソス半島の南西にある町ピュロスからやってきたということです。ネーレイダイのピュロスの気高い町から我らが船に乗ってアジアの心地よい土地に来た時、我らは圧倒的な力で美しいコロポーンに居座る痛ましい誇りを破壊し・・・・ タフツ大学の「ペルセウス・デジタル・ライブラリ」の・・・・


2:聖地クラロス

コロポーンから海辺の町ノティオンに向う途中の、かなりノティオン寄りのところにクラロスのアポローン神殿がありました。デルポイアポローン神殿と同じく、ここにも神託を授ける神託所がありました。「(1)」で紹介しましたように、伝説ではトロイア戦争より前の時代に女預言者マントーがアポローン神の神託によって、この神殿を建てたといわれています。トロイア戦争というものが事実だったとしたら、それはBC 13世紀かBC 12世紀の出来事だったであろうと推定されていますので、古代ギリシア人にとって・・・・


3:イオーニア人の到来

古典時代、コロポーンはイオーニア人の町でした。しかし、今までの話ではイオーニア人は登場していません。ではいつ、どのようにしてイオーニア人はコロポーンに到来したのでしょうか? パウサニアースによれば、モプソスの生きていた時代よりのちに、アテーナイ王コドロスの息子たちに率いられたイオーニア人たちがコロポーンにやってきて、元からのコロポーン市民と同等の権利を持ってコロポーンに住んだ、ということです。とはいえ、王位はコドロスの息子たちダマシクトーンとプロメトスに奪われたといいます。・・・・


4:BC 7世紀

イオーニア人入植後のコロポーンについて伝説はあまりありません。それでも何とか拾ってみましょう。パウサニアースによると、クラゾメナイを建設したイオーニア人グループは、クラゾメナイ建設以前のある時期、コロポーン領内に住み、コロポーン人のパルポロスを迎えて自分たちのリーダーにした、ということです。それから時代を下ると、ホメーロスがコロポーンの出身である、という説を見つけました。ホメーロスがいつ活躍したのか、その時代も明らかではないですが、BC 9世紀かからBC 7世紀の間のどこか・・・・


5:ミムネルモス

ミムネルモスはBC 7世紀のコロポーン出身の詩人です。ミムネルモスの生涯ははっきりしませんが、コロポーンで生まれ、やがてスミュルナに渡り、最後はスミュルナがリュディア軍に包囲される中で死んでいったようです。この時スミュルナは、リュディア王アリュアッテスの攻撃を受けて陥落しています。ミムネルモスにはコロポーン人としての意識と並行して、スミュルナ人としての意識もあったようです。ミネムルモスより約300年後の、エジプトのアレクサンドリアに集まったギリシア人の学者たちは・・・・


6:クセノパネース(1)

哲学的な詩を書いて、ギリシア世界のあちこちを放浪したクセノパネースは、BC 570年頃コロポーンに生れました。彼が少年だった頃、コロポーンはリュディア王国の支配を受けるようになりました。幸いなことにリュディアの支配下においても小アジアギリシア人諸都市は繁栄を享受することが出来ました。そのためコロポーンも、しばらくは平和な日々を送ることが出来ました。しかしやがて、リュディアの東隣にあったメディア王国をペルシア王国が滅ぼす、という事件が起こります。これがコロポーンを動乱に巻き込むきっかけになりました。・・・・


7:クセノパネース(2)

真理は人間から覆い隠されており、人間は探求によって真理に少しずつ近づくことが出来る、と考えるクセノパネースは、当時の人々が神々について持っている概念についても、批判的な目を向けました。当時の人々が神々について想像することと言えば、それはホメーロスの「イーリアス」や「オデュッセイアー」に登場する神々の振舞い、そしてヘーシオドスが「神統記」や「仕事と日」などで歌った神々の振舞いでした。クセノパネースは彼らの歌う内容を攻撃します。ホメロスとヘシオドスは人の世で破廉恥とされ・・・・


8:その後のコロポーン

コロポーンはクセノパネースの最晩年にペルシアの支配を脱しましたが、今度はアテーナイの支配下に入ります。コロポーンはデーロス同盟に参加し、同盟からは負担金として年3タラントンを課せられました。一方、コロポーンの港町の役割だったノティオンも独立の都市と扱われてデーロス同盟に参加し、その負担金は年1/3タラントンでした。ここからコロポーンとノティオンの国力の差が分かります。やがてペロポネーソス戦争が始まると、コロポーンとノティオンもそれに巻き込まれます。ペロポネーソス戦争は・・・・


9:モプソス

「(1)」や「(2)」に登場したモプソス、つまり女預言者マントーの息子モプソスが、歴史上の人物である可能性がある、という記事が英語版のWikipediaの「モプソス」の項に載っていました。それによれば、1946年から47年にかけてトルコの南部にあるカラテペというところで、フェニキア語とルウィ語の2つの言語で書かれた碑文が発見され、そこにモプソスと読めそうな人物名が見つかった、ということです。ルウィ語というのはヒッタイト語に近い言語で、どちらもインド・ヨーロッパ語族アナトリア語派に・・・・