神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

2021-01-01から1年間の記事一覧

エピダウロス(11):その後のエピダウロス

エピダウロス:目次へ ・前へ エピダウロスは独立した都市国家としての命運は尽きていましたが、アスクレーピエイオンの霊験についての名声はその後長く続きました。エピダウロスがローマの支配下に入っても、その名声は続いていました。話はエピダウロスか…

エピダウロス(10):アスクレーピエイオン(2)

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ 蛇はアスクレーピオスにまつわる聖なる生き物でした。日本的に考えれば「神のお使い」のようなものでしょうか。そのため、蛇によって病を癒されたと主張する碑文もあります。 蛇に足の指の治療をされた男(SIG 1168 112-1…

エピダウロス(9):アスクレーピエイオン(1)

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ ペルシア戦争後、エピダウロスはスパルタを中心とするペロポネーソス同盟に参加します。これと対立するのがアテーナイを中心とするデーロス同盟でした。両陣営はBC 431年に、全面的な戦争に突入します。この戦争の開始の…

エピダウロス(8):ペルシア戦争

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ ペリアンドロスの次には甥のプサンメティコスが後を継ぎましたが、3年で政権から追われました。おそらくこの時にエピダウロスはコリントスの支配から脱することが出来たようです。コリントスの支配を脱した後のエピダウ…

エピダウロス(7):プロクレース

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ BC 7世紀頃からギリシアの各地で僭主が現われました。僭主というのは、非合法に政権を握った君主のことで、普通、商人階級の支持を受けて、昔からの土地貴族の力に対抗しました。 ヘーロドトスによればエピダウロスにも…

エピダウロス(6):アイギーナの離反

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ エピダウロスはアイギーナ島も支配下に治めていましたが、アイギーナの人々は広く交易することで裕福になり、エピダウロスの政府の指示に従うことを苦痛に感じるようになりました。当時のエピダウロスの政府の性格はよく…

エピダウロス(5):植民活動

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ エピダウロスの東側はサロニコス湾という海ですが、この湾の中にアイギーナという島があります。いつの頃からか分かりませんが、エピダウロスはアイギーナをも支配するようになりました。その後、アイギーナはエピダウロ…

エピダウロス(4):デーイポンテース

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ 古典時代(BC 5~4世紀)にはエピダウロスはドーリス人の町でした。しかし伝説によれば以前はイオーンの子孫のピテュレウスがエピダウロスの王位にあり、住民もイオーニア人でした。ピテュレウスはエピダウロスのイオーニ…

エピダウロス(3):トロイア戦争

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ ホメーロスのイーリアスでは、トロイア戦争に参加するアスクレーピオスの息子たちが以下のように登場します。 さてその次はトリュッケーや 嶮しい丘のイトーメーを領する者ら、 またオイカリア人エウリュトスの城 オイカ…

エピダウロス(2):アスクレーピオス

エピダウロス:目次へ ・前へ ・次へ エピダウロスは医療の神アスクレーピオスの信仰の中心地でした。広く伝わっている伝説によればアスクレーピオスは北方のテッサリアの出身ということになっていますが、エピダウロスの伝説ではアスクレーピオスはエピダウ…

エピダウロス(1):起源

エピダウロス:目次へ ・次へ エピダウロスは保存状態のよい古代ギリシア劇場の遺跡で有名で、その遺跡は観光地になっています。この遺跡を利用して今でもギリシア悲劇が上演されています。また、その近くには医神アスクレーピオスの神殿(アスクレーピエイ…

エピダウロス:目次

都市一覧へ 1:起源 エピダウロスは保存状態のよい古代ギリシア劇場の遺跡で有名で、その遺跡は観光地になっています。この遺跡を利用して今でもギリシア悲劇が上演されています。また、その近くには医神アスクレーピオスの神殿(アスクレーピエイオン)や…

トロイゼーン(14):ペルシア戦争

トロイゼーン:目次へ ・前へ トロイゼーンはアテーナイからの女性や子供からなる避難民を受け入れただけではありません。アルテミシオンの海戦に5隻の軍艦を派遣しており、ギリシア連合軍がアルテミシオンを放棄して次の決戦地であるアテーナイ沖のサラミ…

トロイゼーン(13):アテーナイからの避難民

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ トロイゼーンについて次にお話し出来ることは、ずっと時代を下ってBC 480年の(第2次)ペルシア戦争の時のことです。この時ペルシア軍はクセルクセース王に率いられてバルカン半島の北からギリシアを攻めて来ました。ト…

トロイゼーン(12):カラウレイア同盟

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ ダミアーとアウクセーシアーの伝説は、その中に「反対派」という言葉が出て来ることから、王家の力が衰弱して貴族間の党派争いが盛んになったBC 8~6世紀のアルカイック期のこととして考えるとしっくりすると思ったので…

トロイゼーン(11):クレータ島への眼差し

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ では、ダミアーとアウクセーシアーがクレータ島から来たとされていることから、何か分からないでしょうか? これに関連して、ホメーロス風讃歌の中の「デーメーテールへの讃歌」で人間の老婆に化けたデーメーテールが、…

トロイゼーン(10):ダミアーとアウクセーシアー

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ ここでいつの時代のことかよく分からない伝説を紹介します。パウサニアースが記しているものです。 ダミアーとアウクセーシアー(トロイゼーン人にとっても、彼女たちの崇拝を分かち合う)については、彼ら(=トロイゼ…

トロイゼーン(9):ハリカルナッソスへの植民

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ トロイゼーンの王家については何も分かりませんでしたが、一方、ピッテウスがトロイゼーンにやってくるより以前の王であるアンタスの子アイティオスの子孫はこの頃まで存続していたようです。パウサニアースによればアン…

トロイゼーン(8):ドーリス人の登場

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ トロイア陥落時、アイトラーはテーセウスの息子たちデーモポーンとアカマースによって救出されたと伝えられています。アイトラーは自分の孫たちに助けられたのでした。その後、トロイゼーンにどんなことがあったでしょう…

トロイゼーン(7):トロイア戦争の頃

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ ここまではトロイゼーンの神話伝説はしっかりしているのですが、ここから以降の出来事になると急にはっきりしなくなります。それでも何とか追跡していきましょう。 ヒッポリュトスが死んだのち、トロイゼーン王の後継者…

トロイゼーン(6):ヒッポリュトス(2)

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ テーセウスは妃パイドラーの死をひとしきり嘆いたあと、その遺書を読みます。 テセウス [書板をよみ終え、死骸の傍をはなれてきて] おお、これはまた、なんという悪いことが、つづいて起ることであろう。まことに言語…

トロイゼーン(5):ヒッポリュトス(1)

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ 若いテーセウスが父親でアテーナイ王でもあるアイゲウスに会うためにトロイゼーンから旅立ったところで、テーセウスの物語はトロイゼーンから離れてしまいます。しかし、やがてテーセウスの息子のヒッポリュトスがトロイ…

トロイゼーン(4):テーセウスの誕生(2)

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ テーセウスの話を進めます。 さてしばらくの間アイトラーはテーセウスの真の生れを隠していた。ポセイドーンの子だという噂がピッテウスによって広められた。ポセイドーンをトロイゼーンの人々は特に崇めて町の守護神と…

トロイゼーン(3):テーセウスの誕生(1)

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ ピッテウスについてプルータルコスは「知恵のある人」であったと書いています。 ピッテウスというテーセウスの祖父に当る人もその中の(=ペロプスの子供の)一人で、その築いたトロイゼーンは大きな町ではなかったけれ…

トロイゼーン(2):ペロプス

トロイゼーン:目次へ ・前へ ・次へ サロニコス湾に名前を残したサロンの話は前回のところで終りです。このサロンからヒュペレースとアンタスに至るまでに間にいた王たちについては気になるところですが、パウサニアースは何も聞き取ることが出来なかったそ…

トロイゼーン(1):起源

トロイゼーン:目次へ ・次へ トロイゼーンはエーゲ海の西側、つまりギリシア本土側にあり、アテーナイと同じようにサロニコス湾のほとりに位置しています。サロニコス湾のまん中にはアイギーナ島(現代名エギナ島)が浮かんでいますが、そのアイギーナ島を…

トロイゼーン:目次

都市一覧へ 1:起源 トロイゼーンはエーゲ海の西側、つまりギリシア本土側にあり、アテーナイと同じようにサロニコス湾のほとりに位置しています。サロニコス湾のまん中にはアイギーナ島(現代名エギナ島)が浮かんでいますが、そのアイギーナ島をはさんで…

コロポーン(9):モプソス

コロポーン:目次へ ・前へ 「(1)」や「(2)」に登場したモプソス、つまり女預言者マントーの息子モプソスが、歴史上の人物である可能性がある、という記事が英語版のWikipediaの「モプソス」の項に載っていました。 それによれば、1946年から47年にか…

コロポーン(8):その後のコロポーン

コロポーン:目次へ ・前へ ・次へ コロポーンはクセノパネースの最晩年にペルシアの支配を脱しましたが、今度はアテーナイの支配下に入ります。コロポーンはデーロス同盟に参加し、同盟からは負担金として年3タラントンを課せられました。一方、コロポーン…

コロポーン(7):クセノパネース(2)

コロポーン:目次へ ・前へ ・次へ 真理は人間から覆い隠されており、人間は探求によって真理に少しずつ近づくことが出来る、と考えるクセノパネースは、当時の人々が神々について持っている概念についても、批判的な目を向けました。当時の人々が神々につい…