神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

カメイロス(4):ペイサンドロス


BC 7世紀にはカメイロス出身のペイサンドロスという叙事詩人が活躍しています。彼は英雄ヘーラクレースの活躍を描いた叙事詩「ヘーラクレイア」の作者でした。彼はヘーラクレースを、獅子の毛皮をまとい、棍棒を担いだ人物として描きました。つまり、現代に至るまでのヘーラクレースのイメージを作ったのがペイサンドロスです。AD 2世紀に活躍したパウサニアースは、自著「ギリシア案内記」の中で、カメイロスのペイサンドロスが、レルネーのヒュドラーの首を1本から多数に改変した、と書いています。レルネーの地に住んでいたヒュドラーは、ヘーラクレースが退治した化け物の1つです。

アミューモーネー川の源流にはプラタナスの木が生えており、その下でヒュドラーが育ったと言われています。私はこの生き物が他の水蛇よりも大きく、その毒には非常に強力なものが含まれていたため、ヘーラクレースは矢の先端にその胆汁を塗ったと確信しています。しかし、私の考えでは、ヒュドラーの頭は一つであり、複数ではありません。カメイロスのペイサンドロスは、この生き物をより恐ろしく、詩をより際立たせるために、ヒュドラーを多くの頭を持つように表現しました。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.37.4 より

その後、ヒュドラーは多くの蛇の頭を持つ怪物として描かれるようになりました。日本でいうヤマタノオロチのようなものです。この点でもペイサンドロスは後世の人々が持つイメージを決定したわけです。

(上:アントニオ・デル・ポッライオーロ作「ヘラクレスヒュドラ」)


ところで、ヘーラクレースはドーリス人にとっては特別な存在でした。伝説ではヘーラクレースの子孫がドーリス人を引き連れて北方からペロポネーソス半島に入り、そこを占領したことになっていたからです。カメイロスはアルゴス人による植民市であり、アルゴス人はこの時にペロポネーソスに侵入したドーリス人に由来していますので、カメイロスの人々にとってヘーラクレースは祖先のようなものでした。アルゴスの王家はヘーラクレースの子孫と称していましたし、カメイロスに植民団を率いた人物もおそらくヘーラクレースの子孫と称していたと思います。ペイサンドロスがヘーラクレースに関する叙事詩を作ったのには、そういう背景があったのだと思います。


BC 6世紀の終わり頃、ロドス島はペルシアの支配下に入りました。その後、BC 499~493年にはイオーニアの反乱が起き、BC 490年とBC 480年にはギリシア諸都市とペルシアが全面対決する2度のペルシア戦争が起きますが、ロドス島はそれらにはあまり巻き込まれずに済んだようです。


ペルシア戦争後、カメイロスを含むロドスの町々はアテーナイを盟主とするデーロス同盟に参加しました。そのため、BC 431年から始まるペロポネーソス戦争では、これらの町々はアテーナイ側で戦いました。ペロポネーソス戦争というのは、ギリシア諸都市がアテーナイ側とスパルタ側に分かれて戦った戦争です。BC 415年にアテーナイはシケリア(シシリー島)遠征を行ないましたが、その際にロドスの軍勢が参加しています。しかしBC 413年にアテーナイとその同盟国のシケリア遠征軍が壊滅すると、ロドス3都市の富裕者階級はスパルタ側への寝返りを画策しました。それに応じてスパルタ側は翌BC 412年、カメイロスに軍船を派遣しました。

他方、ペロポネーソス勢(=スパルタ側)は、ロドス島で最も有力な市民から協力の申し入れを受けて、ロドスへ船隊を進める方針を立てた。(中略)こうしてかれらはこの冬が終るのを待たず、ただちにクニドスから発進し、先ず最初に船隊九十四艘をロドス島のカメイロスに接岸させたが、この間の両者の秘密交渉について何も知らされていなかった一般市民は驚き逃げようとした。この町には城壁の備えがなかったことも、市民に恐怖をあたえたとりわけ大きい原因となっていた。しかしその後、ラケダイモーン人(=スパルタ人)らはこれら市民ならびに、リンドスイエーリュソス両市の市民らの民議会を招集し、説得のすえついにアテーナイから離叛することを承知させた。こうしてロドス島はペロポネーソス側に組することとなったのである。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・44 から

このあとロドス島がどうなったのか、残念ながらトゥーキュディデースは書いていません。全般的な話としては、その後戦場がもっと北のヘレースポントス海域(現代のダーダネルス海峡)に移ったので、ロドス島近海での戦いはそれほどなかったようです。


まだ、ペロポネーソス戦争の決着がついていないBC 408年に、リンドスイアーリュソス、カメイロスの3市は共同で、島の東端に新しい町を建設しました。すでにBC 412年のスパルタ側への寝返りの際、3都市の富裕者階級が事前に合意していたようであることから、富裕者階級ではこのころから共同歩調を取るようになっていたようです。それが進んで、ここに3都市合同が成ったということのようです。新しい町はロドスと名付けられました。このあともカメイロスの町は存続しますが、あまり情報を集めることが出来なかったので、カメイロスの話はここまでとさせて下さい。