1:はじめに
今まで、小アジアのミーレートスとハリカルナッソス、レスボス島のミュティレーネーの3つの古代都市について書いてきたのですが、「エーゲ海」と書きながら、その東側に片寄っていました。そこでエーゲ海のど真ん中の都市を取り上げたいと思って、アポローン神の聖地として有名なデーロス島の・・・・
2:アポローンの誕生
デーロス島でアポローンが誕生した次第は、ホメーロス風讃歌の中の「アポローンへの讃歌」で歌われています。さて、ゼウスはお妃のヘーラーの目を盗んで、レートーとちぎり、レートーは子をみごもりました。この子がアポローンです。やがて月満ちて子供が生まれる頃になると、・・・・
3:ヒュペルボレオイ(極北人)
アポローンは誕生するとすぐにヒュペルボレオイの国に赴きました。ヒュペルボレオイというのは「北風(ボレアス)の彼方の住民」という意味です。ギリシア語のヒュペルはアルファベットで書けばhyperで、英語で言うところのハイパーです。「超」とでも訳したらよいでしょうか。・・・・
4:歴史の記述の少なさ
このブログは、取り上げた都市について、伝説と歴史の交じり合う時代からギリシア古典期までの話を紹介する意図で始めたのですが、デーロス島については古典期の歴史の話があまり見つかりません。アポローンの聖地だけに神話伝説については現代までいろいろ伝わっているのですが・・・。
5:イオーニア人の到来
伝説ではトロイア戦争が終わって80年目に、ヘーラクレースの後裔を称する人々に率いられたドーリス人が北からペロポネーソス半島に侵入して、そこに住んでいたアカイア人を追い出し、さらにアカイア人がイオーニア人を追い出し、イオーニア人は一旦アテーナイに避難したのち、エーゲ海の・・・・
6:キクラデス文明
では、イオーニア人が到来する以前、デーロス島に住んでいたのは何者なのでしょうか? 古代の歴史家でペロポネーソス戦争(BC 431~BC 404)の歴史を書いたトゥーキュディデースは、それはカーリア人であると言っています。当時島嶼にいた住民は殆どカーリア人ないしはポイニキア人で・・・・
7:ペルシア戦争まで
ではイオーニア人到来以降のことを書いていきます。キクラデス諸島のすぐ北にはエウボイア島という大きな島がありますが、BC 710~BC 650年頃に行われた、エウボイア島にある2つの町、カルキスとエレトリアの間の戦争、いわゆるレーラントス戦争にデーロス島は巻き込まれなかったようです。この頃、・・・・
8:ダティスの見た夢
ダティスがデロスの海域から去ったのち、デロスに地震があったとデロスの住民は伝えている。そしてデロスにおける地震は今日に至るまで、これが最初であり最後であったという。(中略)ペルシア軍はデロスを去って後、次々に島に接岸してそこから軍兵を徴用し、住民の子供を人質とした。・・・・
9:ギリシア海軍のデーロス島集結
さて、ダーレイオス王の息子で次代のペルシア王になったクセルクセースはBC 481年、2度目のギリシア侵攻を実行します。今度は前回よりも大規模な軍勢で、海岸沿いの陸を進む陸軍と、海岸沿いの海を進む海軍の2段仕立でした。今回は軍勢が大陸の海岸沿いを伝ってきたため、・・・・
10:デーロス同盟
次の話でもデーロス島は場所としての役割しか果たしていません。その話というのはペルシア戦争ののちアテーナイが組織したデーロス同盟の話です。さて、エーゲ海の東岸、つまり小アジア側までのギリシア都市がペルシアの支配を離脱できるまでになったのは、スパルタとアテーナイの力が・・・・
11:デーロス島の「お清め」
「(6):キクラデス文明」でも少し触れましたが、このペロポネーソス戦争の6年目(BC 426年)にアテーナイによるデーロス島の「お清め」が行われています。同冬、アテーナイ人は神託の命ずるところと称して、デーロス島の清めをとりおこなった。この趣旨の・・・・
12:繁栄と滅亡
デーロス島が一番繁栄したのは、これよりあと、アレクサンドロス大王が若くして死んで、その帝国が後継者たちによって分割され、互いに覇を争っていたヘレニズム時代と、西方からやがて勢力を増してきたローマに支配され始めた時代でした。今、残っている遺跡はこの頃のものが多いようです。・・・・