神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ハリカルナッソス:目次

1:ドーリス人の植民

古代、エーゲ海に拡がっていったギリシア人は北から南へ順に、アイオリス人、イオーニア人、ドーリス人、の3つの種族に分かれていました。これまでイオーニア人の都市ミーレートスとアイオリス人の都市ミュティレーネーの物語を書いてきたので、今度はエーゲ海ギリシア人の中で残りの・・・・


2:ハリカルナッソスの建設

ハリカルナッソスの起源について英語版のWikipediaは以下のように書いています。ハリカルナッソスの建設はさまざまな伝承の間で議論されているが、それらは、ハリカルナッソスがドーリア人の植民市であるという主要な点については意見が一致しており、そのコイン上の、メドゥーサの頭部・・・・


3:カーリア人

ハリカルナッソスではギリシア人だけでなくカーリア人の社会もあるのでした。これはその町の成り立ちに原因があるかもしれません。ハリカルナッソスの建設はミュティレーネーの成り立ちに似ていて、最初は本土にほど近い小島をギリシア人が占拠します。この島は・・・・


4:リュディアとペルシアへの服属

ハリカルナッソスの初めの400年ぐらいの歴史は皆目分かりません。どんな王が君臨していたのか、レーラントス戦争には参加したのか、政治体制はどう変わっていったのか、キンメリア人の侵攻を受けたのか、ネットを調べても本を読んでも分かりませんでした。そこで、年代をBC 6世紀まで下ること・・・・


5:傭兵隊長パネス

ペルシアの2代目の王カンビュセースの治世の頃の話です。当時、カンビュセースはエジプト征服を企んでいましたが、当時のエジプト王はアマシスでした。さて、アマシスは、ギリシア人とカーリア人を傭兵として重用していました。エジプトがギリシア人とカーリア人を傭兵として・・・・


6:エジプトの傭兵としてのギリシア人

ハリカルナッソス人がエジプトに行って傭兵になるようなことが始まったのはいつなのでしょうか? これについて答を見つけられませんでしたが、近くのロドス島の住民はすでにプサンメティコス2世の時代(BC 595-589)に傭兵としてエジプトに行っていたようです。それが分かるのは、・・・・


7:アルテミシア(1)

BC 499年のイオーニアの反乱にハリカルナッソスは参加していなかったようです。ヘーロドトスの記述にはハリカルナッソスだけでなく、近隣のドーリス人の町の名前すら登場しません。ただ近隣のカーリア人は反乱に参加し、一度はペルシア軍を殲滅しています。それでも最終的には・・・・


8:アルテミシア(2)

さて右の全部隊がアテナイ地区に達したとき(中略)クセルクセスは水軍の将士たちと接触しその意見を知りたく思い、自ら船団を訪ねた。クセルクセスが到着して最上席に坐ると、船団からは召しに応じて各国の独裁者と部隊長が参集し、王の定めた序列に従って座を占めた。・・・・


9:サラミースの海戦

その後のサラミースの戦いの状況は、アイスキュロス作のギリシア悲劇「ペルシアの人々」の中で、敗戦をペルシアの首都スーサに伝える一人の使者の言葉として、叙述されています。この悲劇が上演されたのは、この海戦から8年後のことです。その上演を見るアテーナイの人々は、・・・・


10:サラミースの海戦以後

クセルクセース自身は戦いに参加せず、アイガレオス山の麓に玉座を据えてこの海戦を観戦していたのですが、自分の軍の負けを悟ると、一刻も早くギリシアから撤退したいと思うようになりました。その様子を見ていた将軍のマルドニオスは、王にギリシア遠征を説得した自分としては、いずれ処罰をうけるであろうから、・・・・


11:ヘーロドトス(1)

私の「エーゲ海のある都市の物語」の元ネタのほとんどはヘーロドトスの「歴史」という本です。この話題でいかにもいろいろ知っているようにブログに記事をアップしていますが、この本がなければほとんど何も書けません。そのヘーロドトスはハリカルナッソスの出身なのでした。・・・・


12:ヘーロドトス(2)

ヘーロドトスの生涯については、岩波文庫の「歴史」の(下)で、訳者の松平千秋氏による解説の中に書かれていましたので、(昭和47年=1972年 と古いですが)それを抜粋して紹介します。(一)ヘロドトスの生涯――その生涯について知られるところは極めて少ない。紀元十世紀頃・・・・


13:ヘカトムノスの一族

ハリカルナッソスはBC 454年までにはアテーナイを中心とするデーロス同盟に参加し、BC 431年からのペロポネーソス戦争において一度もアテーナイに対して反乱することなく、BC 404年のアテーナイの敗戦までデーロス同盟に留まっていました。トゥーキュディデースの戦史にはハリカル・・・・


14:ハリカルナッソスのディオニューシオス

アルテミシアが死んだあとハリカルナッソスを首都とするカーリア国は、その兄弟たちが順に統治を続けますが、やがてマケドニアアレクサンドロス大王の軍門に下ります。アレクサンドロスはヘカトムノスの娘アダにカーリアの統治を委ねました。その後のハリカルナッソスについて・・・・