1:名前の由来
エーゲ海の北東に位置するレスボス島は、古典期にはギリシア人の中でもアイオリス人が住んでいた島でした。そこには当時5つの町がありました。大陸にあるアイオリスの都市は右のとおりである。イダ山中に住むものは、離れて独立しているから、この中には入らない。次に島に住むものとしては、レスボス島に五つの町があり――レスボスにはもう一つ、六番目としてアリスバがあったが、これはメテュムナ人が自分たちと血統を同じくするにもかかわらず奴隷化してしまったのである――、テネドス島に一つ、それから・・・・
2:オルペウス
アンティッサの海岸は、神話の世界での音楽の巨匠オルペウスの切断された首と竪琴が流れ着いた場所だといいます。その首の霊験によってレスボス島では芸術がさかんになったのだと、この話は続けています。のちの時代になりますが確かに、アンティッサからは竪琴奏者のテルパンドロスが出ています。メーテュムナからはやはり竪琴奏者のアリオーンが、ミュティレーネーからは詩人のサッポーとアルカイオスが出ており、レスボス島出身の有名な音楽家や詩人は多いです。では、オルペウスの伝説をここに簡単に紹介して、上の話の補足にしたいと思います。・・・・
3:アイオリス人のレスボス島到来
前回、アキレウスがレスボス島を攻めた話をしましたが、アキレウスとレスボス島の町の名前の間には奇妙な一致があります。前々回、アンティッサの名前の由来を述べたところで、レスボス島はかつてイッサと呼ばれていたという説を紹介しましたが、アキレウスもかつてイッサと呼ばれた、と言われています。アキレウスの母親は海の女神の一人テティスですが(ギリシア神話の世界では、海の神、海の女神は多数存在しているのです)、神なので、このままでは我が子アキレウスがトロイア戦争で死んでしまうことが予知できたのでした。・・・・
4:テルパンドロス
BC 7世紀に入るとアンティッサから音楽家のテルパンドロスが出ます。英語版Wikipediaの「テルパンドロス」の項によれば彼は「ギリシア音楽の父」であり「抒情詩の父」であると言われているということです。しかし残念ながら彼の詩は少数の断片が残っているだけだそうです。彼は竪琴奏者であり、7弦の竪琴を発明したと言われています。それまでギリシアの竪琴は4弦だったといいます。アンティッサはシグリオンの隣です。それは港のある都市です。次にメーテュムナがあります。アリオーンはこの地の出身で・・・・
5:イオーニアの反乱
アンティッサはペルシアの初代の王キューロスの時にペルシアに服属しました。キューロスの次にペルシア王になったカンビュセースがエジプトを征服する時、その軍の中に、レスボス島のミュティレーネーの船があったことをヘーロドトスは記しています。アンティッサも従軍を命ぜられたのかもしれません。3代目の王ダーレイオス1世の治世の頃にはペルシア王国はバビロニアとエジプトを含む巨大な帝国に成長していました。ペルシア支配下のイオーニア、アイオリスの町々はペルシアの軍事行動に兵を提供しなければなりませんでした・・・・
6:デーロス同盟
ミュカレーの戦いが終わったあと、サモス島に引き上げてきたギリシア勢についてヘーロドトスは以下のように書いています。かくしてサモス、キオス、レスボスをはじめギリシア軍に加わって参戦していたその他の島の住民を、忠誠を守って決して叛かぬと確約誓言させた上で同盟国に加えた。ヘロドトス著「歴史」巻9、106 から ということは、レスボス勢はミュカレーの戦いに参加していることは確かなようです。しかし、それがどういう経緯で参加したのかについてヘーロドトスははっきり書いていません。そこで・・・・
7:ミュティレーネーの反乱
この頃アンティッサはミュティレーネーの影響下にありました。ペロポネーソス戦争開始から3年目のBC 428年、アンティッサはミュティレーネーとともにデーロス同盟を離脱することを目指して、アテーナイに対して反乱を起こしました。反乱の準備はまだ半ばでしたが、メーテュムナがミュティレーネーの不穏な動きを察知してアテーナイに通報したために、予定を前倒しして反乱に踏み切ったのでした。メーテュムナはこの頃民主制を採っており、レスボス島の都市の中で一番の親アテーナイ派でした。民主制が発達し、国力が増大した・・・・
8:戦争の終わり
BC 412年、戦争はまだ続いていました。この年、スパルタ側に寝返ったキオスは、軍船を派遣してメーテュムナとミュティレーネーをスパルタ側に寝返らせました。しかし、アテーナイがすぐに察知して軍船を派遣し、この2つの町を再び掌握しました。この時、スパルタ軍もレスボス島に駆けつけてキオス軍を支援しようとしたのですが、すでにメーテュムナとミュティレーネーをアテーナイ軍が確保したあとでした。そこから逃走したキオスの軍船がエレソスに停泊しているのを、スパルタの海軍司令アステュオコスは・・・・