神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スタゲイラ:目次

1:母市アンドロス

スタゲイラは有名な哲学者アリストテレースが生まれた町として知られています。逆に言えばそれ以外の情報はあまり見つかりません。そのような町の歴史について、私のような素人がどこまで書くことが出来るのか、やってみました。スタゲイラはカルキディケー半島に位置しています。カルキディケーの名前は、エウボイアの有力都市カルキスからの人々が主に植民したことに由来しています。しかしながら、スタゲイラはカルキスの植民市ではなく、アンドロス島の植民市でした。アンドロス島はエウボイア島の南にある島です。・・・・


2:植民活動

スタゲイラが建設されたBC 655年頃からその後、スタゲイラにどのようなことが起ったのか調べてみたのですが、なかなか「これは」という情報を見つけることか出来ませんでした。スタゲイラが建設された時代は、小アジアでは騎馬民族キンメリア人がギリシア人都市を襲っていた頃です。しかしキンメリア人は、さすがにスタゲイラまでは襲ってこなかったと思われます。ヘーロドトスの「歴史」はこの頃の小アジアの歴史については詳しく知らせてくれますが、スタゲイラのある地方については教えてくれません。・・・・


3:ペルシアの影

BC 600年頃は七賢人が活躍した時代でした。七賢人とは誰のことをいうのかについては多くの説がありますが、ミーレートスのタレース、アテーナイのソローン、ミュティレーネーのピッタコス、スパルタのキローン、プリエーネーのビアスは、どの説でも七賢人のうちに数えられています。この中でアテーナイのソローンやミュティレーネーのピッタコスは、貴族と平民の対立を緩和するために活躍した政治家でもありました。ミュティレーネーのピッタコスは貴族ではなかったようで、ミュティレーネーの貴族の一員であり・・・・


4:ペルシア→アテーナイ→スパルタ→マケドニア

その後スタゲイラはペルシアの支配下にありました。BC 480年、ペルシア王クセルクセースは陸海両軍を率いてギリシア本土を征服しようとしました。この時、進軍の経路に当っていたスタゲイラは、ペルシア軍への従軍を強要されました。ストリュモン河畔を発って進むと、西方に向って拡がる海浜があり、その浜にアルギロスというギリシア人の町があるが、遠征軍はこの町を通過した。この地域およびこれより上部一帯はビサルティアと呼ばれている。ここからポセイデイオン岬付近の湾を左手にしながら・・・・


5:マカーオーン(1)

アリストテレースの父ニーコマコスはスタゲイラ出身の医者であり、その家系は代々医者の家系であったと伝えられています。アリストテレースの母親はエウボイア島のカルキスの出身で、やはり医者の家に生まれたということです。父親のニーコマコスの祖先はギリシア神話に登場する医師の神アスクレーピオスだといいます。アスクレーピオスの息子がトロイア戦争で活躍した軍医マカーオーンで、マカーオーンの息子がニーコマコスで、その子孫がアリストテレースの父になったニーコマコスだということです。・・・・


6:マカーオーン(2)

さて、マカーオーンについては前回、矢に射られた場面しかご紹介していなかったので、ちゃんと軍医として活躍した場面も紹介いたします。これもイーリアスの中の一場面です。「タルテュビオスよ、一刻も早くマカーオーンを此処へ招(よ)んできてくれ、あの申し分なく優れた医師(くすし)、アスクレーピオスの息子だと言う武士を、アレースの伴(とも)なるアトレウスの子 メネラーオスを診て貰おうから。何者か、トロイエー人かリュキア人中 弓矢の業に達した者が、矢を射て彼をうったのだ、己(わ)が身の誉れ、我々が嘆きともして。」・・・・


7:アリストテレース

スタゲイラはアリストテレース誕生の地という、ほとんどそのことのみで有名ですが、アリストテレースはこの地にそれほど長く住んでいたわけではなかったようです。父はマケドニア王アミュンタス3世(アレクサンドロス大王の祖父)の侍医であり友人であった。アリストテレスの幼少時代については詳しいことはわからないが、父が王の侍医であったからには、彼の家族も父と一緒にマケドニアの首都ペルラにあったに相違ない。不幸にしてその両親は彼がまだ幼少の頃死んで、その後は親類に当たるプロクセノスの・・・・