神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

ミュティレーネー(23):最終回

ミュティレーネー:目次へ ・前へ アレクサンドロス大王が後継者を指名せずに若くして亡くなると、大王の部下たちが自分こそはアレクサンドロスの後継者と名乗って争い、大王の帝国は分裂し互いに侵攻を繰り返す、いわゆるヘレニズム時代になるのですが、そ…

ミュティレーネー(22):アリストテレースとテオプラストス(2)

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ さて、アリストテレースとテオプラストスがミュティレーネーにやってきた経緯はといいますと・・・・まず、BC 347年に師のプラトーンが死去します。するとアリストテレースはアカデメイアを飛び出し、アテーナイ市内…

ミュティレーネー(21):アリストテレースとテオプラストス(1)

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ BC 427年のミュティレーネーの降伏ののち、もうそのあとには、ミュティレーネーが中心となるような事柄は起らなかったようです。それでもミュティレーネーは背景としてはまだ歴史に登場します。さて話はミュティレー…

ミュティレーネー(20):ミュティレーネーの反乱(3)

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ 反乱勃発の翌年BC 427年の夏、スパルタはアルキダス率いる40隻の艦隊をミュティレーネーへと送り、それと並行してアッティカ*1に侵攻し、その地を荒らし回りました。しかしこのミュティレーネーへ向う艦隊は、途中の…

ミュティレーネー(19):ミュティレーネーの反乱(2)

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ この動きに対し、最初アテーナイは何とか外交交渉によってデーロス同盟離脱を思いとどまらせようとしました。というのは、現在アテーナイはスパルタと戦争中であり、さらに悪いことには一昨年より疫病がアテーナイ市…

ミュティレーネー(18):ミュティレーネーの反乱(1)

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ BC 479年のミュカレーの戦いはペルシアによるギリシア征服の企てを最終的にあきらめさせましたが、その48年後、アテーナイを中心とするデーロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネーソス同盟は戦争に突入しました…

ミュティレーネー(17):ヘラニコス

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ ミュティレーネー生れの歴史家ヘラニコスは、ミュカレーの戦いの時10歳ぐらいでした。ですのでヘラニコスはミュカレーの戦いのことを同時代の出来事として経験したことでしょう。そしてその後のデーロス同盟結成とそ…

ミュティレーネー(16):デーロス同盟

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ ミュティレーネーの人々にとってミュカレーの戦いは印象的だったことだと思います。そしてギリシア連合海軍を率いるスパルタ王レオーテュキデースの名前も記憶に残ったのではないかと想像します。 しかし、歴史の流…

ミュティレーネー(15):ペルシア戦争

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ ペルシア王ダーレイオスは、イオーニアの反乱にギリシアのアテーナイとエレトリアが加担したことを口実に、ギリシア本土に攻め込むことを決意しました。のちに第一次ペルシア戦争と呼ばれるこの時のペルシア軍の侵攻…

ミュティレーネー(14):イオーニアの反乱

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ イオーニアの反乱は5年続きました。途中で反乱の首謀者だったミーレートスの僭主アリスタゴラスが逃亡する、という事件もありました。アリスタゴラスの従兄弟で舅でもあったミーレートス人ヒスティアイオスは反乱発…

ミュティレーネー(13):コエス

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ 3代目のダーレイオス1世の治世の頃にはペルシア王国はバビロニアとエジプトを含む巨大な帝国に成長していました。ペルシア支配下のイオーニア、アイオリスの町々はペルシアの軍事行動に兵を提供しなければなりませ…

ミュティレーネー(12):ペルシアへの服属

ミュティレーネー:目次へ ・前へ ・次へ ところでこのサルディスの陥落を、ミュティレーネーは最初、それほどの事件とは思っていなかったようです。しかし、やがて小アジア全体がペルシアに服属するようになると、自発的にペルシアに服属を誓うことになりま…