神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アイギーナ:目次

1:はじめに

今度はエーゲ海の西側にある島アイギーナを取り上げます。この近くにある有名なアテーナイをなぜ取り上げないかと言いますと、アテーナイの歴史ならばネットに多く存在するからです。私としてはそういう都市は避けて、あまり取り上げられることのない都市についてご紹介していきたいと思っています。・・・・


2:アイギーナの名の由来

アイギーナという島の名前は、神話によればアイギーナという名前の女性に由来します。「テーラ(3):エウローペーを探すカドモス」で紹介したエウローペーという女性がヨーロッパという地名の由来になったのに似ています。そしてエウローペーの話と同じように神々の王ゼウスによってさらわれ、・・・・


3:アイギーナ植民

神話によればアイアコスはアイギーナの初代の王でした。そしてアイギーナの国民(というか都市国家なので市民とも呼ぶことも出来ます)はといいますと、ゼウスがアイアコスのために島にいる蟻を人間に変身させて国民にしたのでした。ギリシア語で蟻のことをミュルメクスと呼ぶので・・・・


4:アテーナイとの不和の起源

これは、アイギーナとアテーナイがどうして敵対関係になったかという話です。この話は、アイギーナがエピダウロスから独立する前の頃から始まります。エピダウロス穀物の不作に悩んでいたことがあった。そこでエピダウロス人は、この天災についてデルポイの神託を伺ったのである。・・・・


5:新興海上勢力として

アイギーナはサモスとも不和でした。アイギナ人がサモス人に対してこのような行為に出たのは、かねて怨恨を抱いていたからである。元はといえばサモス人の方が元凶であって、アンピクラテスがサモスに君臨していた頃、彼らはアイギナを攻めてその住民に多大の危害を加え、彼らもまた反撃に会って・・・・


6:アイアコス一族の神霊

アイギーナの最初の王であったアイアコスとその子孫はアイギーナの守り神として崇拝されていました。そしてアイアコスの一族はアイギーナ以外の都市国家でも崇拝されていました。そのことが分かる話が以下の伝説です。BC 507年のことです。テーバイがアテーナイと戦い、惨敗するということがありました。・・・・


7:ペルシアからの服属要求

BC 498年、ミーレートスを中心とするエーゲ海東側のギリシア諸都市がペルシアに対して反乱を起こしました(イオーニアの反乱)。エーゲ海の西側では、アテーナイとエウボイア島のエレトリアがこの反乱に援軍を派遣しました。イオーニアの反乱は最終的にはBC 494年にペルシアによって・・・・


8:勝利

アテーナイは有名なマラトーンの戦いでペルシア軍に大勝します。ペルシアの脅威を除去したアテーナイは、親ペルシアのアイギーナの現政権を転覆させ、親アテーナイの政権を樹立しようとする陰謀を進めました。アテーナイ側が目を付けたのは、アイギーナで貴族政に反対するアイギーナの・・・・


9:進め、ヘラスの子らよ

やがて2度目のペルシアの侵攻が始まりました。それは前回よりも大規模で、ペルシア王自らが軍を率いていました。テミストクレースは、対アイギーナ戦のためにという名目で建造した200隻にのぼる軍船で、ペルシア軍に当ろうと考えます。これより以前にも一度、テミストクレスが時宜にかなった説を唱えて・・・・


10:サラミースの海戦

こうして始まったサラミースの海戦ですが、この海戦で一番活躍したのはアイギーナの艦船でした。さてサラミスのペルシア軍艦船の大部分は、アテナイ軍とアイギナ軍のために破壊され航行不能の状態に陥った。ギリシア軍が整然と戦列もみださず戦ったのに反し、ペルシア軍はすでに戦列もみだれ何一つ・・・・


11:衰退

サラミースの海戦ののち、アテーナイはテミストクレースの主導により、さらに海軍力を高めていきスパルタとの間に緊張が走りますが、自分の功績を繰り返し誇示するテミストクレースがアテーナイ民衆に嫌われ、陶片追放に会います。テミストクレースに代わってアテーナイの主導権を得たのは穏健・・・・


12:最終回。その後のアイギーナ

前回の「(11):衰退」で、アイギーナの話は終わりにしようと思っていたのですが、そうしたところどうも落ち着きがよくないと感じてきました。どこが変なのか考えてみたところ、現代もアイギーナ(現代名エギナ)の町は立派に存在するのに、前回でまるでアイギーナが滅亡したかのように書いて・・・・