神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイゼーン:目次

1:起源

トロイゼーンはエーゲ海の西側、つまりギリシア本土側にあり、アテーナイと同じようにサロニコス湾のほとりに位置しています。サロニコス湾のまん中にはアイギーナ島(現代名エギナ島)が浮かんでいますが、そのアイギーナ島をはさんでアテーナイの反対側にあるのがトロイゼーンです。トロイゼーンは神話においても、また歴史時代に入ってからもアテーナイとの関わりが深かったようです。神話においては、アテーナイの英雄テーセウスが生れたのがトロイゼーンですし、テーセウスの息子ヒッポリュトスが愛の女神アプロディーテーの・・・・


2:ペロプス

サロニコス湾に名前を残したサロンの話は前回のところで終りです。このサロンからヒュペレースとアンタスに至るまでに間にいた王たちについては気になるところですが、パウサニアースは何も聞き取ることが出来なかったそうです。ともかく「(1)」でお話ししたようにヒュペレースとアンタスは海神ポセイドーンの子供たちで、そのアンタスの子アイティオスがトロイゼーンの王(その時はまだトロイゼーンとは呼ばれていなかったのですが)だった時に、ペロプスの息子たちトロイゼーンとピッテウスがやってきて・・・・


3:テーセウスの誕生(1)

ピッテウスについてプルータルコスは「知恵のある人」であったと書いています。ピッテウスというテーセウスの祖父に当る人もその中の(=ペロプスの子供の)一人で、その築いたトロイゼーンは大きな町ではなかったけれども、当時の人の間では賢明なきわめて知恵のある人として最も名声を馳せた。その知恵がどんなものでどんな力があったかというと、察するところヘーシオドスが「仕事」の中に収めている格言集にも見えるとおり詩人自らもそれをそなえている点で有名だったといわれているような知恵であった。・・・・


4:テーセウスの誕生(2)

テーセウスの話を進めます。さてしばらくの間アイトラーはテーセウスの真の生れを隠していた。ポセイドーンの子だという噂がピッテウスによって広められた。ポセイドーンをトロイゼーンの人々は特に崇めて町の守護神と祭穀物の初穂を供え貨幣の面にも三叉の戟を鋳刻している。プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。「ポセイドーンをトロイゼーンの人々は特に崇めて」とありますが、これに関連してパウサニアースが記している以下の短い物語を紹介します。ある時、海神ポセイドーンと・・・・


5:ヒッポリュトス(1)

若いテーセウスが父親でアテーナイ王でもあるアイゲウスに会うためにトロイゼーンから旅立ったところで、テーセウスの物語はトロイゼーンから離れてしまいます。しかし、やがてテーセウスの息子のヒッポリュトスがトロイゼーンに送られてきて、このヒッポリュトスの物語がトロイゼーンを舞台にして始まります。ヒッポリュトスの母親は、勇猛な女たちだけの部族であるアマゾーン族の一員で、その名はヒッポリュテーともメラニッペーともアンティオペーとも伝えられています。名前がはっきりしないということは、要するに伝説の中で・・・・


6:ヒッポリュトス(2)

テーセウスは妃パイドラーの死をひとしきり嘆いたあと、その遺書を読みます。テセウス [書板をよみ終え、死骸の傍をはなれてきて] おお、これはまた、なんという悪いことが、つづいて起ることであろう。まことに言語道断なこと、なんとおれは不運な人間であろう。(中略)なんという、なんという恐ろしいことを、おれはこの手紙でよんだことであろう。(中略)おお、わが祖国も聞き給え、ヒッポリュトスめが、きびしいゼウスの御目も憚らず、おれの閨を無礼にも犯そうといたしたのじゃ。・・・・


7:トロイア戦争の頃

ここまではトロイゼーンの神話伝説はしっかりしているのですが、ここから以降の出来事になると急にはっきりしなくなります。それでも何とか追跡していきましょう。ヒッポリュトスが死んだのち、トロイゼーン王の後継者は誰になったのかよく分かりません。そこでトロイア戦争を扱ったホメーロスイーリアスを調べてみたところ、トロイゼーンが登場する以下の詩句を見つけました。またアルゴスや、城壁に名を得たティーリンスを保つ者ども、さてはヘルミオネー、またアシネーの深い入江を抱く邑々、トロイゼーンからエーイオナイ、また葡萄のしげるエピダウロス・・・・


8:ドーリス人の登場

トロイア陥落時、アイトラーはテーセウスの息子たちデーモポーンとアカマースによって救出されたと伝えられています。アイトラーは自分の孫たちに助けられたのでした。その後、トロイゼーンにどんなことがあったでしょうか? この頃トロイゼーンはアルゴス支配下にあったようですが、そのアルゴスの王ディオメーデースがトロイアから帰ってきました。ディオメーデースは無事帰国出来たことを感謝してトロイゼーンにアポローンの神殿を建立しました。この囲いの中に船乗りのアポローンの神殿があり、これは・・・・


9:ハリカルナッソスへの植民

トロイゼーンの王家については何も分かりませんでしたが、一方、ピッテウスがトロイゼーンにやってくるより以前の王であるアンタスの子アイティオスの子孫はこの頃まで存続していたようです。パウサニアースによればアンタスの子孫がトロイゼーンからハリカルナッソスへ植民したと伝えています。彼らは、ヒュペレースとアンタスに至るまで、後の王について何も知りません。彼らはポセイドーンとアトラースの娘アルキュオネーの息子たちであると彼らは主張し、国にヒュペレイアとアンテアの町を設立したと付け加えました。・・・・


10:ダミアーとアウクセーシアー

ここでいつの時代のことかよく分からない伝説を紹介します。パウサニアースが記しているものです。ダミアーとアウクセーシアー(トロイゼーン人にとっても、彼女たちの崇拝を分かち合う)については、彼ら(=トロイゼーン人)はエピダウロス人とアイギーナ人と同じ説明をせず、彼女たちがクレータ島から来た娘たちであったと言います。市内で起こった一般的な暴動は、この乙女たちもまた、反対派によって石打ちによって殺されたと彼らは言います。そして彼らは石投げと呼ぶ彼女たちに捧げる祭を開催します。・・・・


11:クレータ島への眼差し

では、ダミアーとアウクセーシアーがクレータ島から来たとされていることから、何か分からないでしょうか? これに関連して、ホメーロス風讃歌の中の「デーメーテールへの讃歌」で人間の老婆に化けたデーメーテールが、次のようないつわりの身の上話をすることが、気になります。娘たちは近くに立ち、翼ある言葉をはなった。「齢を重ねた人々の中の、どこのどなたなのですか、おばあさま。どうして街を遠ざけ、人家に近づこうとしないのですか。蔭なす奥部屋には、齢をちょうど同じくする女たちも、より若い娘たちも・・・・


12:カラウレイア同盟

ダミアーとアウクセーシアーの伝説は、その中に「反対派」という言葉が出て来ることから、王家の力が衰弱して貴族間の党派争いが盛んになったBC 8~6世紀のアルカイック期のこととして考えるとしっくりすると思ったので、この位置でご紹介しました。この頃のトロイゼーンについてはほとんど逸話が見つからないので記述が難しいのですが、貴族間の党争が激しいということは、政治の安定を図るために不満分子を植民に送り出すことも多かったことでしょう。すでにお話ししたハリカルナッソスへの植民もそうだったのかも・・・・


13:アテーナイからの避難民

トロイゼーンについて次にお話し出来ることは、ずっと時代を下ってBC 480年の(第2次)ペルシア戦争の時のことです。この時ペルシア軍はクセルクセース王に率いられてバルカン半島の北からギリシアを攻めて来ました。トロイゼーンは5隻の軍艦を派遣して他のギリシア諸国とともにアルテミシオンでペルシアの海軍と戦いました。一方、自分たちの領土にはアテーナイからの避難民を受け入れました。というのはクセルクセース王の戦争目的の1つはアテーナイの占領であることが明白だったからです。このアテーナイからの・・・・


14:ペルシア戦争

トロイゼーンはアテーナイからの女性や子供からなる避難民を受け入れただけではありません。アルテミシオンの海戦に5隻の軍艦を派遣しており、ギリシア連合軍がアルテミシオンを放棄して次の決戦地であるアテーナイ沖のサラミース島周辺の海域に移った時にも、その5隻がそのままサラミースの布陣に参加しました。一方、今まで戦いに参加していなかったギリシア諸都市からの軍船はトロイゼーンの港に一旦集結したのちサラミースの艦船に合流しました。アルテミシオンからの艦船がサラミスに集結すると・・・・