神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クラゾメナイ:目次

1:クラゾメナイ建設

クラゾメナイは、イオーニア12都市のひとつです。さて、英語版のWikipediaにはクラゾメナイと神話の関わり合いとして、以下の記事を載せています。クラゾメナイで鋳造された銀貨は、町の主神であるアポローンの頭部を示しています。神話によると、白鳥はアポローンが毎年ヒュペルボレオイ人の土地にある冬の住まいから南に飛ぶ時に使う戦車を引きました。しかし、クラゾメナイには白鳥がたくさん生息しており、また、野鳥の鳴き声を表すのには動詞klazoが使われたと考えられています。硬貨の表面の白鳥は、アポローンの眷属であり、クラゾメナイという名前のしゃれでもあります。・・・・


2:ヘルモティモス

ヘルモティモスについては断片的な情報しかなく、それも神話的な話でしかありません。そのひとつは、ディオゲネース・ラーエルティオスが伝えるもので、ヘルモティモスがピュータゴラースの前世だったという話です。正確にはヘルモティモスが生まれ変わってデーロス島の漁師ピュロスになり、そのピュロスが生まれ変わってピュータゴラースになった、そしてピュータゴラースがこれらの前世を覚えていた、という話です。この話では、ピュータゴラースがヘルモティモスであった時も自分の前世を覚えていた、といいます。その前世とはギリシア神話におけるトロイア戦争の頃のことで・・・・


3:アリステアース

ヘルモティモスについての物語を調べているうちに、もうひとりの「神話と歴史の間」にいたと思われる人物のことが気になり始めました。その人はアリステアースといい、クラゾメナイとは関係のない人物ですが、脱線してこの人物についてご紹介したいと思います。アリステアースもBC 7世紀頃の人と思われています。彼はマルマラ海の島プロコンネーソスの出身でした。ヘーロドトスはプロコンネーソスやその近くのキュージコスでアリステアスの話を聞き出しています。その話によれば、アリステアスはその町で誰にも劣らぬ家柄の出であったが、プロコンネソスで晒布(さらし)業者の店へ・・・・


4:キンメリア人とリュディア王国

話を徐々にクラゾメナイに戻していきます。アリステアースの「アリマスポイ物語」で登場したキンメリア人というのは、今のウクライナあたりにいた遊牧民族だということです。それがどういう理由によるのか、やはり遊牧民族であるスキュタイ人によって追われることになり、南下していきました。キンメリア人は黒海沿岸に沿って逃げていき、BC 700年前後に小アジアに到着しました。キンメリア人はそこから進路を西に取り、出会う国々で略奪を繰り返していきました。一方、スキュタイ人たちは途中でキンメリア人を見失い、そのまま南下を続けて、当時のメディア王国を・・・・


5:ペルシアの統治下で

その後、リュディアはその東に迫って来たペルシアを迎え撃ちます。ペルシア王キューロスは、イオーニア諸都市に密使を送り、リュディアに対する反乱を呼びかけます。しかしミーレートスを除くイオーニア諸都市はリュディアがペルシアを撃退するであろうとの見通しをもって、キューロスからの誘いに乗りませんでした。ところが予想に反し、キューロスはリュディアに圧勝し、クロイソスを捕虜にしてしまいます(BC 546年)。リュディア王国はあっけなく滅亡しました。イオーニア諸都市はあわてて使者をキューロスのもとへ送りましたが、キューロスは使者に対して・・・・
6:ヒッポナクス

BC 547年、ペルシアの支配が始まってからBC 499年のイオーニアの反乱が始まるまでの時代にクラゾメナイで活躍した悪口詩人がいます。彼の名前はヒッポナクスといい、エペソス生まれでしたが、遅くともBC 538年頃にはクラゾメナイに住んでいたようです。ヒッポナクスは、その詩の過激な内容が災いしたのか、当時のエペソスの僭主によってエペソスから追放されたのでした。彼の詩は断片が少し残っているだけですが、それでもその口の悪さが想像できます。例えば、おまえが泣き叫んだ時どんなヘソ切りがおまえを拭いて洗ったのか、おまえ、頭にひびが入った・・・・


7:アナクサゴラース(1)

BC 480年の第2次ペルシア戦争では、クラゾメナイは戦艦と乗組員の供出をペルシアから命ぜられ、ペルシア海軍の一員としてギリシア本土を侵略するために従軍しました。この軍はアテーナイ沖のサラミースの海戦でギリシアに大敗します。翌BC 479年、ギリシア諸国の連合艦隊によってイオーニアはクラゾメナイを含めて、ペルシアの支配下から解放されました。アナクサゴラースはクラゾメナイ出身の哲学者で、ディオゲネース・ラーエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」によれば、第2次ペルシア戦争でペルシアがギリシア本土に侵攻してきた時にアナクサゴラースは20歳であり・・・・


8:アナクサゴラース(2)

以下の話は私には本当らしく思えないのですが、こんな話も伝わっているということで、ご紹介します。ともかくこんな話がある。ペリクレスが仕事に忙殺されていてアナクサゴラスの面倒を見る者がいなかった時、アナクサゴラスはすでに老齢であるし食を断って死んでしまおうと衣ですっぽり顔をおおって横になっていた。寝耳に水のペリクレスは仰天してすぐさまこの人のところに駆けつけ、思い直してくれと一生懸命頼み込んで、こういう立派な相談相手を失いでもすれば、アナクサゴラスではなく、自分の身が嘆かれると言った。するとアナクサゴラスはおおいの間から顔を出して・・・・


9:ペロポーネソス戦争

アナクサゴラースが亡くなったのはBC 428年頃とされています。BC 431年にはペロポネーソス戦争が始まり、この戦争はBC 404年まで続きます。これは、アテーナイと中心とするデーロス同盟とスパルタを中心とするペロポネーソス同盟の間の戦争でした。アナクサゴラースと長年交際のあったアテーナイの指導者ペリクレースもアナクサゴラースと同じ頃、BC 429年に亡くなっています。ただし、それは戦死ではなく疫病に罹って亡くなったのでした。ひょっとするとアナクサゴラースの死も疫病によるものかもしれません。この頃、戦争それ自体は、アナクサゴラースがいたランプサコスには・・・・