アンティッサ:目次へ ・前へ ・次へ アンティッサの海岸は、神話の世界での音楽の巨匠オルペウスの切断された首と竪琴が流れ着いた場所だといいます。その首の霊験によってレスボス島では芸術がさかんになったのだと、この話は続けています。のちの時代にな…
アンティッサ:目次へ ・次へ エーゲ海の北東に位置するレスボス島は、古典期にはギリシア人の中でもアイオリス人が住んでいた島でした。そこには当時5つの町がありました。 大陸にあるアイオリスの都市は右のとおりである。イダ山中に住むものは、離れて独…
都市一覧へ 1:名前の由来 エーゲ海の北東に位置するレスボス島は、古典期にはギリシア人の中でもアイオリス人が住んでいた島でした。そこには当時5つの町がありました。大陸にあるアイオリスの都市は右のとおりである。イダ山中に住むものは、離れて独立…
プリエーネー:目次へ ・前へ マケドニアのアレクサンドロス大王がペルシアの征服を開始したのはBC 345年で、マウソロスの死から18年後のことでした。彼はペルシアを征服したのちインドにまでその軍を進めて広大な征服地を確立したのですが、32歳の若さで亡…
プリエーネー:目次へ ・前へ ・次へ プリエーネーがペルシアの支配から脱するのは、それから15年後、ギリシア本土の連合軍がペルシア軍をミュカレーで破ってからのことでした。その後、プリエーネーはアテーナイを中心とする対ペルシア軍事同盟であるデーロ…
プリエーネー:目次へ ・前へ ・次へ プリエーネーはペルシアによってその市民が奴隷に売られるという悲運に遭いました。一方、他の都市はどうだったかといいますと、まずミーレートスはすでにペルシアと協定を結んでその支配下に入っていたので安全でした。…
プリエーネー:目次へ ・前へ ・次へ ビアスが、リュディア王クロイソス(アリュアッテスの息子で次代の王)と会談して、クロイソスがエーゲ海の島々を征服するのをあきらめさせた、という話があります。この話は一説にはビアスのことではなく、同じく七賢人…
プリエーネー:目次へ ・前へ ・次へ 前回登場したプリエーネーの人ビアスは、七賢人の一人として取り上げられます。誰が七賢人に属するのかについてはいろいろな説がありますが、どの説でもビアスは必ず入っています。(このブログではすでに七賢人のうち「…
プリエーネー:目次へ ・前へ ・次へ その後、プリエーネーは東のほう、サルディスを首都として勢力を伸ばしてきたリュディア王国の侵略を受けます。リュディア王アルデュス(英語版のWikipediaの「リュディアのアルデュス」の項によれば、在位BC 644年~637…
プリエーネー:目次へ ・前へ ・次へ プリエーネーの初期についての伝説として、エペソスの初代の王であったアンドロクロスが、プリエーネーとカーリア人(原住民)との戦いを助けて、一緒に戦ったという話があります。 (アテーナイ王)コドロスの息子アン…
プリエーネー:目次へ ・次へ このブログで最初に取り上げたミーレートスと、前回取り上げたミュウスと、このプリエーネーの町は互いに近くに位置しています。今は、内陸部になっていますが、古代ギリシアの時代にはここは湾になっていました。それが今のよ…
都市一覧へ 1:起源 このブログで最初に取り上げたミーレートスと、前回取り上げたミュウスと、このプリエーネーの町は互いに近くに位置しています。今は、内陸部になっていますが、古代ギリシアの時代にはここは湾になっていました。それが今のように埋ま…
ミュウス:目次へ ・前へ こうしてペルシアによって悲惨な目に会わされたミュウスですが、BC 479年のギリシア連合海軍によるミュカレーの海戦ののち、ペルシアの支配を脱することが出来ました。しかし、ペルシアの支配を脱したことを疑わせるような記事も残…
ミュウス:目次へ ・次へ このブログで最初に取り上げたミーレートスと、このミュウスと、次回取り上げる予定のプリエーネーの町は互いに近くに位置しています。今は、内陸部になっていますが、古代ギリシアの時代にはここは湾になっていました。それが今の…
都市一覧へ 1:イオーニアの反乱 このブログで最初に取り上げたミーレートスと、このミュウスと、次回取り上げる予定のプリエーネーの町は互いに近くに位置しています。今は、内陸部になっていますが、古代ギリシアの時代にはここは湾になっていました。そ…
レベドス:目次へ ・前へ BC 545年、リュディア王国を滅ぼしたペルシア王国がレベドスを含むイオーニアの諸都市を占領しました。この後、レベドスはペルシアの支配の下にありました。おそらく他のイオーニア都市と同じく、ペルシアの意を汲んだギリシア人の…
レベドス:目次へ ・前へ ・次へ ところで、先ほどのストラボーンの記事 レベドスは、アルティスと呼ばれる場所を占領したアンドロポンポスによって建設された。 には、レベドスが植民前にはアルティスと呼ばれたという情報が含まれています。おそらくこれは…
レベドス:目次へ ・次へ この「神話と歴史の間のエーゲ海」というブログは、2023年の12月で完結したつもりでしたが、イオーニア12都市の中のレベドスとプリエーネーとミュウスについて書いていないことが、最近になって気になってきました。そこで、まずは…
都市一覧へ 1:起源 この「神話と歴史の間のエーゲ海」というブログは、2023年の12月で完結したつもりでしたが、イオーニア12都市の中のレベドスとプリエーネーとミュウスについて書いていないことが、最近になって気になってきました。そこで、まずはレベ…
2017年 7月28日:(1)ミーレートス 11月18日:(2)ミュティレーネー 2018年 1月5日:(3)ハリカルナッソス 7月14日:(4)デーロス 8月25日:(5)テーラ 10月5日:(6)アイギーナ 11月9日:(7)エペソス 12月22日:(8)コース 2019年 3月9日:(9)サモス 5月23日:(10)…
クノッソス:目次へ ・前へ ここから先については私の力不足のため、書くことが出来なくなりました。もっとちゃんとした終わり方にしたかったのですが・・・・。このブログでは古代都市を50個取り上げることにしていたので、この「クノッソス」で終わりです…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ BC 1200年からあとの数百年のクノッソスの様子はやはり分かりません。この頃になるとギリシア本土でも次々と宮殿が破壊され、ミュケーナイ文明は滅亡してしまいました。この滅亡の原因はいまだに明らかになっていません。…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ ギリシア本土では、BC 1200年頃から考古学的な遺物が少ない暗黒時代に入ります。しかし、クノッソスのあるクレータ島ではそれより150年も早いBC 1350年頃に暗黒時代に入ってしまうのでした。この間いったい何が起きたのか…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ BC 1450年頃、クレータ島の各地の宮殿が破壊され、クノッソスの宮殿だけが残る。たぶん、この頃ミュケーナイ文明のギリシア人がクノッソス宮殿を占拠。 BC 1350年頃。クノッソス宮殿の崩壊 BC 1200年頃。トロイア戦争(あっ…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ クノッソスを始めとするミノア文明の遺跡では、宗教に関する遺物が多く発掘されているのですが、線文字Aが解読されていないために、神名を始めさまざまなことが不明のままです。それでもミノアの宗教では女神たちが重要な…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ BC 1628年頃にテーラ島の大噴火。 BC 1600年頃。ミノア文明の盛期。 BC 1450年頃、クレータ島の各地の宮殿が破壊され、クノッソスの宮殿だけが残る。たぶん、この頃ミュケーナイ文明のギリシア人がクノッソス宮殿を占拠。 …
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ ここからは視点を変えて、考古学によって古代のクノッソスやクレータ島についてどのようなことが分かってきたかを見ていきます。クレータ島の先史時代の文明を考古学ではミノア文明と呼んでいます。この名前は、伝説上のク…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ 話は、トロイア戦争後に進みます。 アテナイからの客人 きっとそれらの都市が、かのイリオン(トロイア)に向かって軍を勧めたのでしょうね、それも、おそらくは海路をも使って、その頃はすでに、誰もが、恐れることなく海…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ プラトーンはトロイアの建設の伝説を取り上げ、それをもとに、人びとが山麓から平野に下りて来た時代があったとしています。 アテナイからの客人 それはホメロスが、二番目につづき、三番目のものはこのようにして生じたと…
クノッソス:目次へ ・前へ ・次へ プラトーンは、大洪水を生き延びた人々の子孫は技術をあまり持っていなかったし、小集団に分かれて暮らしていたと論じます。 アテナイからの客人 そこでわたしたちは、こんなふうに言ってもよいのではないでしょうか。こう…