神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アカントス(6):ブラーシダース


カルキディケー地方に到達したブラーシダースの軍は、アテーナイ勢が根拠地にしているポテイダイアを通り過ぎてアカントスにやって来ました。これはアカントスの貴族派の人々が呼んだからなのですが、市民の大多数はそのことを知りません。驚いたアカントス市民は、とりあえず城門を閉ざして、ブラーシダースの軍の入城を許しませんでした。

同夏ただちにブラーシダースは麾下の軍勢とカルキディケーの軍兵を率いて、葡萄の取り入れ寸前の頃アンドロスの植民地アカントスを攻めた。アカントスの住民たちは、ブラーシダースを受け入れるべきか否かをめぐって、カルキディケー人と意を通じ遠征誘致に参画した一味と、民衆派との間に意見が対立した。しかし、まだ取り入れの終っていない収穫物の安否を気づかうあまり、ついに、一般民衆らもブラーシダースに説伏されて、とりあえずかれ一人だけの入城を認めその言分を聴取したのち、最終的態度を決定することとなり、かれを城内に入れた。


トゥーキュディデース「戦史 巻4・84」より

ところでブラーシダースはなぜアカントスを味方につけようとしたのでしょうか? それは、アカントスよりも北にある、アテーナイの植民市アンピポリスの攻略を考えていたためです。アンピポリスはアテーナイのトラーキア方面支配の重要な拠点で、BC 437年(今叙述している時点から13年前)に建設されました。これを奪い取ることがブラーシダースの狙いであり、その攻略のための拠点としてアカントスに目をつけたのでした。


トゥーキュディデースはブラーシダースという人物を以下のように描写しています。

ブラーシダース自身についていえば、ラケダイモーン人(=スパルタ人)がかれを派遣したのは本人の強い意向によるが(また、カルキディケーの住民もこれを歓迎した)、かれはスパルタの内にあっては如何なる事態を処するにも有能敏腕であるとの評があり、また遠征に出てはラケダイモーンにとってかけがえのない功績を立てた人物であった。(後略)


トゥーキュディデース「戦史 巻4・81」より

また、次のようにも書いています。

かれ(=ブラーシダース)はラケダイモーン人にしては珍しく弁論の術にも長けていた


トゥーキュディデース「戦史 巻4・84」より

ブラーシダースはアカントス市民に対して、自分たちの目的はギリシア諸都市をアテーナイの圧政から解放することであると説明し、自分たちに協力するように求めました。ブラーシダースは、もし入城を断った場合の脅しも巧みに演説の中に織り込んでいました。

「・・・・諸君は、否と答えても敵対行為さえ控えていれば害を蒙ることなくわれらを退去させうるはずだ、と思っているかも知れぬ。・・・・ならば止むを得ない。私はこの地を守る神明、英雄の霊たちに証しを乞うて宣言する、善をなさんが為に訪れ、説いて容れられず、諸君の地を壊し武力によって意に従える、と。・・・・諸君、私の言分にかんがみて、最善の策を講じて貰いたい。そしてギリシア人解放を最初に手がけた先鋒として不滅の栄誉を獲得するべく、また諸君ら自身の生活を災禍から未然に守り、ポリスの全員が一体となって至上の名声を克ち得るよう、諸君の奮起を切望する。」


トゥーキュディデース「戦史 巻4・87」より

ブラーシダースの演説のあとアカントス市民は、アテーナイに叛旗を翻すかどうか議論を始めました。そして議論のあとの投票によってアテーナイからの離叛を決定したのでした。アカントス市民がこの決断をするに至った原因は2つありました。そのひとつはブラーシダースの巧妙な演説でした。もうひとつは、もしブラーシダースの軍の入城を断ったら、収穫間近のブドウ畑を彼の軍兵によって破壊されてしまうのではないか、という恐れでした。

(上:アカントス出土の墓碑の一部)

そしてブラーシダースが(スパルタを)出発するときラケダイモーン(=スパルタ)の為政者たちと交したという、同盟に組した諸国には自治独立を容認する、との宣誓を誓わせた後、その条件にもとづいてアカントス人は遠征軍の入城を認めた。その後、時経ずしてアンドロスの植民地スタギーロスもアテーナイから離叛した。


トゥーキュディデース「戦史 巻4・88」より

アカントスと同じくアンドロスの植民市であるスタギーロス(=スタゲイラ)も離叛したのでした。