神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アカントス(7):平和条約

このあとブラーシダースとその軍は、予定通りアンピポリスを陥落させ、占拠しました。それからも彼はカルキディケー地方の町々を次々とスパルタ側に寝返らせていきました。

ブラーシダースはアムピポリス攻略後、同盟の諸兵を率いてアクテーと呼ばれる地帯(=アトス半島)に兵を進めた。これはペルシア王が掘らせた運河を越えて海にむかって伸びている半島で、エーゲ海に没入するその突端にはアトース山の高峰が聳える。その運河の脇のエウボイアに面する方の海岸にアンドロスの植民地サネーがある。その他、テュッソス、クレオーナイ、アクロトーオイ、オロピュクソス、ディーオンなどの諸ポリス(=都市国家)が半島の各地に散在している。(中略)かれらの過半数はブラーシダースの意に従ったが、サネーとディーオンは抗戦したので、かれは両国の領土に兵を留めて破壊行為を加えた。
それでも従おうとはしなかったので、ブラーシダースはただちに兵を返して、アテーナイ勢が警備中の、カルキディケーのトローネーを攻めた。


トゥーキュディデース「戦史 巻4・109~110」より


BC 422年、アテーナイの将軍クレオーンはアテーナイ兵を率いてアンピポリス奪還を試みました。一方ブラーシダースもアンピポリスに入り、防戦しました。この戦いはブラーシダース側が勝利しましたが、ブラーシダース自身は戦死してしまいました。一方、アテーナイのクレオーンも戦死しました。ブラーシダースはスパルタにおける主要な主戦論者であり、クレオーンもまたアテーナイにおける主要な主戦論者でした。このアンピポリスの戦いで両陣営の主戦論者が戦死したため、アテーナイとスパルタの両方において和平の動きが急に始まり、翌BC 421年、両者は和平条約を結びます。この条約においてアカントスの処遇は以下のように決められました。

ラケダイモーンとその同盟諸国は、アムピポリスをアテーナイに返還する。ラケダイモーンがアテーナイへ移管した諸都市にかぎり、市民は私有財産を携えて、いずこへなりと希望の土地への立ち退きが許される。また、以下の諸都市はアリステイデースの査定額の年賦金を納入し独立自治が認められる。平和条約の成立後、これら諸都市が年賦金を滞りなく支払う限り、アテーナイもその同盟諸国もこれらに懲罰の兵を送ることを禁ずる。これに該当する諸都市は、アルギーロス、スタギーロスアカントス、スコーロス、オリュントス、スパルトーロスである。これらは、ラケダイモーン、アテーナイのいずれの同盟にも属さない。ただしアテーナイの説得が功を奏し、これらの都市がそれを望むのであれば、アテーナイはこれらを同盟に加えることができる。メーキュベルナ、サネー、シンゴスの住民は、オリュントス、アカントスの住民らと同様に、各々のポリスに住居することが許される。


トゥーキュディデース「戦史 巻5・18」より

アカントスは「独立自治が認められ」、「ラケダイモーン(=スパルタ)、アテーナイのいずれの同盟にも属さない」ことになりました。しかし奇妙なことにアテーナイへ年賦金を支払わなくてならないことになっていました(「アリステイデースの査定額の年賦金を納入し・・・」)。アリステイデースというのは、各都市がデーロス同盟へ支払う年賦金を初めて決めたアテーナイの政治家で、この時の金額査定は良心的に行われたと言われています。その後数十年間のうちにアテーナイは年賦金の額を徐々に上げていきました。ですので、アリステイデースの査定額の年賦金というのは現状に比べてかなりの減額になりました。とはいえ、アテーナイの同盟に属さないのにアテーナイに年賦金を支払うというのはおかしな話でした。このことがアカントスにとって不満の種になりました。

さてラケダイモーン人は(抽選により、かれらの方から先ず占拠抑留中のものを返還することになったので)、直ちにラケダイモーンに抑留中の捕虜を釈放し、またトラーキア方面にむけてイスカゴラース、メーナース、ピロカリダースの三人を使節として、クレアリダース(=ブラーシダース戦死後、その軍勢を統率していた将軍)にアムピポリスをアテーナイ側に返還することを命じ、その他の諸邦住民にも、前述のごとき各国個別の条件にもとづいて平和条約の取り決めに服することを要求した。しかしトラーキア諸邦は和議の条件が不利であると考えて、使節の要求に応じなかったし、またクレアリダースもカルキディケー住民の求めをいれて、住民らの意思を無視してアムピポリスを返還することは不可能であると主張して、これを返還しなかった。


トゥーキュディデース「戦史 巻5・21」より

スパルタはアカントスを含むカルキディケー地方の諸都市に平和条約の履行を要求したのですが、これらの都市は「和議の条件が不利であると考えて」平和条約を無視しました。このような態度はスパルタまたはアテーナイによる条約の強制を引き起こす恐れがありました。しかし平和条約後も実際には両者間で紛争が絶えず、両陣営ともカルキディケー地方にまで手が回らない状況になりました。その後、平和条約は破られ両陣営は本格的に対決することになり、カルキディケー地方は両陣営の関心から外れてしまいます。こうして、アカントスとその周辺の諸都市は本当にスパルタの同盟(ペロポネーソス同盟)にもアテーナイの同盟(デーロス同盟)にも属することなく、自治を享受することが出来ました。