神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ケオース(13):プロディコス(2)

ここまで書いたところで、ネットで「ソフィスト・プロディコスの宗教思想」(中澤務 関西大学教授 著)という面白い論文を見つけました。読んでみて、学者はさすがだな、と思いました。この論文の主題は、古代の書物に引用されたプロディコスの、神々についての発言をどのように解釈するか、というものです。たとえば、AD2, 3世紀の哲学者兼医者であったセクストス・エンペイリコスが書いている以下の文章についてです。

さらに、ケオスのプロディコスは、次のように述べている。「太陽や、月や、河や、泉など、概して、人間の生活に有益なものすべてを、いにしえの人々は、それらからもたらされる利益ゆえに、神々とみなした。それは、エジプト人がナイル河を神とみなしたのと同様である。」そして、このような理由によって、パンはデメテル、ぶどう酒はディオニュソス、水はポセイドン、火はヘパイストスといったふうに、有用なもののそれぞれが、神とみなされていったのである。(Sextus Empiricus, Adv. Math. 9.18.DK84B5, Mayhew 74)


ソフィスト・プロディコスの宗教思想」より

この、神々を自然物に還元するような意見は、無神論と解釈されることもありました。この論文では上記のほかにもいろいろな著述家が書き留めたプロディコスの言葉を分析しています。そして、プロディコスの宗教思想を以下のように結論付けます。

彼は神々の存在と宗教を否定した無神論者ではない。むしろ、彼は、社会と文明の発生をめぐる独自の理論にもとづいて、人間にとっての神々と宗教の意味を捉えなおし、紀元前5世紀における宗教的伝統により合致した信仰の形を提唱しようとしたのだといえる。(中略)
 プロディコスとほかのソフィストたちとの違いは、農耕の意味づけに存している。彼は、すべての文明の基礎に農耕を据え、そこから、文明を基礎づけようとした。(中略)こうしたプロディコス独特の文明論は、おそらくは、彼の母国であるケオス島の宗教的文化の姿から導き出されたものと考えることができる。その意味で、プロディコスは、この島の風土と文化が生み出した特異な思想家といえるのである。


同上

私がここで紹介しても、この論文の興味深い点があまり伝わっていないと思います。ご興味のある方はリンクからこの論文に飛んで、読んでみて下さい。


ところで私が興味を持ったのは「プロディコス独特の文明論は、おそらくは、彼の母国であるケオス島の宗教的文化の姿から導き出された」というところです。ケオース島の宗教的文化というのはどのようなものを指しているのでしょうか? この論文ではケオース島の宗教的文化を以下のように説明しています。

 ケオス島には、畑とかまどの神であるアリスタイオスを信仰する宗教カルトが存在していた。アリスタイオスは、アポロン神と、人間の王ヒュプセウスの娘でニンフのキュレネのあいだに生まれた息子である。アリスタイオスは、司祭・予言者であるとともに、放浪して文明を伝える者であり、各地に、養蜂、牧畜、酪農、オリーブとブドウの栽培などを伝えたとされる。
 アリスタイオスは、ケオス島の住民たちから、夏季の暑さを静めるよう求められ、ケオス島にゼウス・イクマイオス(雨を呼ぶゼウス)の祭壇を設けさせ、儀式をおこなった。これによって、貿易風が吹き、流行していた疫病が払われたという。そして、その死後、アリスタイオスは、農耕の守護神として信仰されるようになったのである。
 このアリスタイオスとならんで、ケオス島で信仰されていたのが、アリスタイオスと関係の深い、季節の女神ホーラたち(ホーライ)である。ピンダロスによれば、アリスタイオスが誕生すると、ヘルメスがそれをキュレネから取り上げて、ホーライのもとに連れていき、ホーライが、アリスタイオスを養育したという。


同上


(3)アリスタイオス」でご紹介した話が、新しい情報を伴って登場しました。アリスタイオスは、私が「(3)アリスタイオス」で書いた養蜂以外にも、牧畜、酪農、オリーブとブドウの栽培などの伝達者だということです。もうひとつ興味深いのは季節の女神たちホーライです。上の記事によればアリスタイオスはホーライによって育てられたということです。実は、前回ご紹介した「ヘーラクレースの選択」の寓話は、プロディコスの「ホーライ」というタイトルの著作に書かれていたと伝えられています。この「ホーライ」についてはこの論文でも検討されていて、この書物が農耕と宗教と文明の起源について論じていた可能性について述べています。残念ながら「ホーライ」という書物は散逸してしまったのでその内容を知ることは出来ません。私はこの論文の推定する「ホーライ」の内容が気になります。この著作の内容が農耕と宗教と文明の起源について論じていたとして、「ヘラクレースの選択」の話は、この「ホーライ」の中でどのような位置づけだったのでしょうか? また、(プラトーンの「プロタゴラス」に描かれた)言葉の用法にうるさいというプロディコスの一面は、この論文で描かれたプロディコスの思想とどのように関わってくるのでしょうか? 興味があります。


(右:季節の女神たち、ホーライ)