テーノス島が登場するもう一つの神話は、北の果ての国に住み、アポローン神を崇拝する極北人(ヒュペルボレオイ)という神話的な種族が、アポローン神の聖地であるデーロス島に捧げものを送る際に、その供物がテーノス島を通って送られた、というものです。この話は歴史家のヘーロドトスが伝えています。
ところで極北人について、他と比較にならぬほど多くを語っているのはデロス人である。そのいうところによれば、麦藁に包んだ供物が極北人の国から運ばれてスキュティアに着き、スキュティアからは隣国の住民が次々に受け渡して西方遥かアドリア海に至り、供物はここから南方に転送され、ギリシア人で最初にこれを受け取ったのはドドネ人であったという。ここから南下してマリス湾に達し、海を渡ってエウボイア島に上陸し、町から町へ運ばれてカリュストスに着いた。ここからの道順ではアンドロス島が省かれた。カリュストス人はこれをテノス島に運んだからで、最後にテノス人がデロス島へもたらしたのであるという。
ヘロドトス著「歴史」巻4、33 から
この記述にある供物の経路を地図に書くと下のようになります。
テーノス島付近を拡大すると、下のようになります。
カリュストスの人々はこの藁包みの供物を受け取ると、なぜか一番近い島であるアンドロス島を飛ばし、そのさらに南にあるテーノス島に送り届けたといいます。なぜアンドロス島を飛ばすのかについてヘーロドトスは語っていませんが、上記の岩波文庫の本の注にはアンドロス島はディオニューソス神の崇拝が主であって、アポローン神の影が薄かったためであろう、としています。逆に言えば、テーノス島はデーロス島と関りが深い、ということになります。デーロス島はイオーニア人にとっての聖地でしたので、テーノス人がデーロスを尊重することは大きなものがあったと想像します。なお、テーノス人もイオーニア系とされていました。
もちろん、上の話は伝説であって、現実にこのようなことが行なわれていたとは信じられません。ところで、極北人と訳した「ヒュペルボレオイ」というのは「北風(ボレアス)の彼方の住民」という意味です。彼らの国はいつも太陽が照っていて夜がない、と言われています。そうするとこれは北極に近い地方の白夜を伝説化したものかと思えるのですが、一方、神話ではこの国は温暖な国ということになっているので、この点では極地を伝説化したものとも思えません。呉茂一氏の「ギリシア神話」
では、この国のことを以下のように説明しています。その国は、四時光明に輝く白昼であって気候温和に、正義を愛し平和を守り、つねにアポローン神を讃える頌歌の声にみなぎり、御神の慈(めぐ)みのもとに奉仕を怠らぬ国民である・・・・
そこには大河エーリダノス(神話的な川)が極洋に流れ込み、その河砂にはあの、きらきらと黄金の燦(きら)めきを秘める琥珀が数限りもなく埋もれている。
この極北人が自分で供物を運ばずに、各地の住民に手渡しするようにさせた理由についてですが、
はじめ極北人は二人の娘に供物を持たせて送ったのであるという。
ヘロドトス著「歴史」巻4、33 から
とのことです。しかしこの二人の女性は(原因は記されていないのですが)デーロス島で死んでしまったのでした。
さて極北人たちは使いに出した者たちが帰国してこないので、これからも派遣した者たちがいつも帰ってこぬようなことがあってはたまらぬと考え、それからは麦藁包みの供物を国境まで持ってゆき、隣国人にそれを次の民族に転送してくれと固くいい渡すことにした。このようにして供物は次から次へ転送されてデロスに着いたというのである。
同上
極北人とデーロス島を結ぶ経路にあたる町々の住民たちが、アポローン神をかしこんで、受け取った供物を次の町に届ける、という光景は、事実ではなかったにしろ、私には何かしら印象的なものに思えます。それは、はるかかなたの土地や、そこに住む人々への想像を誘うものだったと思います。