神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(27):最終回

ここから先については私の力不足のため、書くことが出来なくなりました。もっとちゃんとした終わり方にしたかったのですが・・・・。このブログでは古代都市を50個取り上げることにしていたので、この「クノッソス」で終わりです。


私はかなり若い頃から日本の神話にもギリシアの神話にも興味を持ってきました。日本の神話が天皇家を軸にしていることから歴史に自然に接続されていくのに対して、(日本で紹介されている)ギリシア神話ではトロイア戦争の次の世代あたりで物語が途切れてしまうのを、昔から残念に思っていました。同時に、古典期(BC 479年~BC 338年)のギリシア人たちが自分たちの神話の時代と自分たちの生きていた時代をどのように関係づけていたのか知りたいとも思ってきました。


その後いろいろ調べていくと、哲学者プラトーンがアテーナイ王コドロスの子孫であると伝えられており、コドロスはさらにさかのぼれば、神話に登場するネーレウスに行き当たる、ということや、プラトーンの弟子だったアリストテレースは、医神アスクレーピオスの子孫とされていたこと、あるいはスパルタの王家は英雄ヘーラクレースの子孫とされていたことなどを知り、けっして神話と当時の時代とが断絶していたわけではないことを知りました。同じような例として、アテーナイの貴族アルクマイオニダイもピュロス王ネーレウスの子孫であり、同じくアテーナイの貴族ピライオイはサラミース島の英雄アイアースの子孫である、と伝えられています。


古典期のギリシア人たちが神話に登場する英雄たちを自分たちの祖先と考えていたのであれば、神話から歴史に至る物語があるはずだ、と考えました。そして、そのような物語を読みたい、というのがいつしか私の願いになりました。しかし、そのような本を見つけることは出来ておりません。


このブログは、私のこのような願いを何とかなだめるために書いたものです。町というものを軸にして、神話から歴史への橋を架けようとしたのでした。しかし、歴史学で「BC 1200年のカタストロフ」とか「暗黒時代」とか呼ばれている事態の壁は厚く、なかなかうまく橋をかけることが出来ませんでした。

前1200年のカタストロフとは、地中海東部を席巻した大規模な社会変動のこと。この社会変動の後、当時、ヒッタイトのみが所有していた鉄器の生産技術が地中海東部の各地や西アジアに広がることにより青銅器時代は終焉を迎え鉄器時代が始まった。

そしてその原因は諸説あるが、この社会変動の発生により、分裂と経済衰退が東地中海を襲い、各地において新たな時代を生み出した。


日本語版ウィキペディアの「前1200年のカタストロフ」の項より

暗黒時代とは、古代ギリシアにおける紀元前1200年から紀元前700年頃までの間における文字資料に乏しい時代のこと。ミケーネ文化、前古典期(アーカイック期)の間にあたる。また、この時代のうち前1059年から前700年頃は土器に幾何学文様の描かれたことから幾何学文様期と呼ばれることがある。

また、暗黒時代と呼ぶことが不適切として初期鉄器時代と呼ばれることが普及しつつある。



古代ギリシャでミケーネ文化が繁栄していた時代、「前1200年のカタストロフ(前1200年の破局とも)」をきっかけに文化は崩壊、それまで使用されていた線文字Bも使用されなくなり文字資料が乏しくなった。この状況はギリシャ人とフェニキア人が接触することによりアルファベットが成立してエーゲ海地帯に普及するまで続く。


このカタストロフの内容については各種異論が存在し、このカタストロフが古代ギリシャ史における分水嶺とされ、カタストロフ以前を研究する学者は考古学者、カタストロフ以後を研究する学者は歴史学者と分け隔てられていた。そのため、暗黒時代は考古学者、歴史学者の両者から敬遠される時代であった。


その後、考古学的調査の進展によりそれまで収集されたデータの分析が行なわれ、暗黒時代という分水嶺を打破しようとする学者らが現れはじめ、それまでの暗黒時代の印象が大きく変化していった。


日本語版ウィキペディアの「暗黒時代 (古代ギリシア)」の項より


取り上げた都市は、エーゲ海に面したもの、エーゲ海の海岸に位置していなくてもなるべくその近くに位置したものに限定しました。それはひとつにはやはりエーゲ海という言葉に対する漠とした憧れがありましたし、「暗黒時代」になされたらしいギリシア人の植民活動の活発さに強く印象付けられたことも理由のひとつです。ギリシアにおける植民活動の大部分は航海によってなされました。そのため、エーゲ海というものをこのブログの背景にしようと思ったのです。


このブログの元になる文章を最初に書いたのは2017年7月31日のことで、その時はこんなに続けるつもりはなく、冒頭の文章も

何の説明もつけずに始めてしまい、読む人には申し訳ないのですが・・・・。そのうちに何か筋書きのはっきりした記事になるかもしれないと思い、書き始めます。
ヘロドトスの「歴史」や他の文献から、イオニアの華と呼ばれた古代ギリシアの都市であるミレトスの記事を年代ごとにたどっていけたら、と思っています。


エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(1):ミレトス建設 より

という、自信のないものでした。今のブログではこのあたりの文章を書き直しています。


このミーレートスについての話を書き始めたら、ヘーロドトスの「歴史」

にネタがいっぱいあって、それらは以前から頭の中にあったので、どんどん書けてしまったのでした。それを書き終えてしばらくしたら、私の心の中に「今度はミュティレーネーについて書け」というささやき声が聞こえて、そんなに書けるかなあ、と思っていたのですが、英語版のWikipediaを調べると、ネタが豊富にあったので、これもまた楽しく書けたのでした。これに味をしめて、以後50都市になるまで書き続けてきて、気づいたら6年以上経っていました。この活動の過程でいろいろなことを知ることが出来たので、よい勉強になったと思います。まあ、実生活の役には立たないでしょうが、少なくとも自分の生活に彩りを与えてくれたと思います。今後は、今までの記事を読み直して、手を入れていくことになるでしょう。


読んで頂いた方々に感謝いたします。