神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ケオース(6):アコンティオスとキューディッペー

次にご紹介するケオースにまつわる伝説は、ケオース生れの美少年アコンティオスとアテーナイ生れの美少女キューディッペーの物語です。

アルテミスのことを歌おう。その矢は黄金作りで、御神は猟犬を励まし給う。
けがれなき乙女、鹿を射る者、弓矢の術を悦ぶ、黄金の剣を持つアポローンの妹神よ。
影多い丘や風の強い峰を越えて、御神は黄金の弓を引き、追跡を喜び、そして痛ましい矢を放ち給う。
高い山の頂は震え、絡み合った木々は獣たちの叫び声で激しく響く。大地は揺れ、魚群れる海もまた揺れる。・・・・


「ホメーロス風讃歌」の中の「アルテミス讃歌」より



デーロス島でアルテミスの祭があった時のことです。祭りに参加したケオースのアコンティオスは、アルテミス神殿の中で座っていたアテーナイの少女キューディッペーを偶然見かけました。アコンティオスはケオース生れの田舎育ちであり、一方のキューディッペーはアテーナイという都会育ちです。キューディッペーはこの時侍女(乳母)を従えていましたが、そこから彼女の生れの良さが分かります。アコンティオスはキューディッペーに、ケオース島では見たことがない都雅を感じたことでしょう。彼はキューディッペーに、一目ぼれしてしまい、彼女こそ自分の妻になるべきひとと直感したのでした。そのとき、その恋心が彼にひとつの策略を思いつかせました。

 そこであなた(=アコンティオス)は、アルテミス女神の社前に腰を落とす乙女を認めるなり、アプロディテの苑からキュドニア林檎(=これがマルメロのことらしい)を摘んできて、その表面に企みの言葉を彫りつけると、侍女の足許にそっと転がしてやったのです。侍女は実の大きさと色鮮やかさに驚いてそれを拾い上げるが、一体どこの娘が、うっかりこれを懐から落したのか、見当もつきません。そして言うには、
「マルメロや、お前は神様のものなのかえ? 周りに彫りつけた文字はなんでしょう。いったい何を伝えたいの? お姫様、どうぞこれを、見たこともないようなマルメロです。なんて大きいんでしょう。燃えるようで、薔薇にも負けない赤さです。それに、香りの素晴らしいこと。遠くからでも鼻をくすぐります。嬢ちゃま、なんて書いてあるのか、読んでくださいな」


ギリシア恋愛小曲集」の中のアリスタイネトス作「アコンティオスとキュディッペ」より

この侍女は文字が読めないのです。これは私の想像ですが、おそらく彼女は元々ギリシア人ではないのでしょう。人買いにさらわれたのか、戦争で捕虜になって売られたのか、いずれにせよ乳母として買われた身だったのでしょう。それでギリシア語は話せるが文字は読めなかったのだと思います。それで侍女はキューディッペーに「読んでくださいな」と言ったのでした。

 少女がこれを受け取り、文字の上に目を走らせながら読み上げようとしたのは、
「アルテミスにかけて、私はアコンティオスの妻になります」
という言葉でした。実意なく、無意識に口にしたとはいえ、これは誓文です。彼女は読み終らぬうちに、恥ずかしくて色恋の言葉を取り消し、最後のところは打ち切って声に出しませんでした。


同上


(上:パウルス・ボル作「キューディッペーと、アコンティオスのリンゴ」の一部)


少年の策略によって、キューディッペーは結婚の誓いの言葉をよりによって女神アルテミスの神殿の前で語ってしまったのでした。もちろん、彼女にアコンティオスと結婚する気はさらさらありませんでした。


その後、彼女の父親は別の男と彼女を結婚させようとします。しかし式が行われる前にキューディッペーは重い病気になり、式は流れてしまいました。そういうことが一度ならず度々あったのでした。それは女神アルテミスがキューディッペーの語った言葉をお聞きになったからです(女神ならば、もっと人の心の奥を見て判断して欲しいと私は思いますが・・・・)。一方、アコンティオスはと言えば、彼女がたびたび重病になったと聞き、それが自分の計略に原因があることに思い当たると、キューディッペーにとんでもないことをさせてしまった、という思いがこみ上げてきました。そしてキューディッペーに想いを伝えるために手紙を送り、それがきっかけで二人は文通し合うようになります。やがてキューディッペーはアコンティオスの想いが一途なものであることを理解するようになりました。とうとうキューディッペーの父親はデルポイの神託に娘の病の原因を尋ねることにしました。神託は彼女の病気の原因は気分を害した女神アルテミスの怒りであると告げ、今までの経緯を父親に教えました。そこで彼女の父親はアコンティウスとの結婚に同意し、アコンティオスはキューディッペーと結婚することが出来ました。その後二人は幸せに暮らしたといいます。


以上が、アコンティオスとキューディッペーの物語でした。