神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ケオース(8):シモーニデース(2)

BC 480年のテルモピュライの戦いの時シモーニデースは何歳だったでしょうか? 当時の人々の誕生年はなかなかはっきりしないのですが、多くの学者の説ではシモーニデースの誕生年はBC 556年だそうです。それを元に計算すると、テルモピュライの戦いの時彼は76歳という高齢になります。このあとシモーニデースはシケリア島のシュラクーサイ(現代名シラクサ)に移住し、シュラクーサイの僭主ヒエローンの庇護を受けました。そしてその地で亡くなっています。


では、シモーニデースの生涯をたどっていきます。シモーニデースが生まれたのはケオース島の山沿いの町イウーリスでした。BC 556年の生れだとすると、小アジアギリシア人植民市がペルシアに征服されたのがBC 545年ですので、シモーニデースはこの知らせを少年時代に聞いたことでしょう。あるいは、コロポーンの哲学者クセノパネースのように小アジアから避難してきた人々がケオースにも一時滞在したかもしれません。当時、ケオース島の人々はアポローン神とアルテミス女神の聖地であるデーロス島に定期的に聖歌隊を送り、神々に讃歌を捧げる習わしでした。また、ケオース島の町カルタイアには合唱団のための学校がありました。

(上:カルタイアのアテーナー神殿の遺跡)


このようにケオースは音楽の文化が盛んであり、シモーニデースはそういう環境の中で詩才を発揮していったのでしょう。また、イウーリスには、オリンピアなどの全ギリシア的な競技会で優勝したアスリートたちの名前を刻んだ石板があり、そういう環境がのちのシモーニデースに勝利者への頌歌を作らせた要因のひとつかもしれません。勝利者への頌歌というジャンルはシモーニデースが作り出したものと推定されています。


英語版Wikipediaの記述によれば、若い頃のシモーニデースはカルタイアの合唱団の学校で教師として働いていたということです。とはいえ、この小さなケオース島では自分の才能が十分に認められないと思ったのでしょう。30歳頃シモーニデースはアテーナイに移住して、当時の僭主ヒッピアスの弟、ヒッパルコスの庇護を受けます。ヒッパルコスは当時、多くの芸術家を招聘していました。

(アテーナイの僭主ペイシストラトスの死後)その地位と年輩との関係で(その息子)ヒッパルコスとヒッピアスとが政治の衝に当たっていたが、ヒッピアスは年長でありかつ生まれつき政治家肌で思慮があったため支配の頭に立っていた。一方ヒッパルコスは遊び好きで好色でまた芸術を好んだ(アナクレオンやシモニデスその他の詩人らを招いたのもこの人であった)。


アリストテレース「アテーナイ人の国制」18 村川 堅太郎 訳より。

ヒッパルコスは詩人たちを擁することによって、兄の政権の広報面を担当したのでしょう。上の引用に出てくるアナクレオーンシモーニデースより年上で、小アジアギリシア人植民市テオースの出身の詩人です。彼はBC 545年のペルシアの征服を逃れてきた人々の一人でした。シモーニデースはここでアナクレオーンの知己を得、しばらく安定した暮しを楽しんでいたのですが、BC 514年にヒッパルコスが暗殺されてしまい、この芸術家のサロンは消滅します。シモーニデースが42歳頃のことでした。ヒッパルコスが暗殺された理由ですが、トゥーキュディデースと「アテーナイ人の国制」の作者は、同性愛関係のもつれが原因としています。それと、僭主政治への反発もあったことでしょう。ここでは「アテーナイ人の国制」の記述を示します。

ヒッパルコスの弟)テッタロスははるかに年下でその生活態度が無鉄砲かつ傲慢で、彼らのすべてにとっての不幸のはじまりも彼から生まれたのであった。というのは彼はハルモディオスを愛していたが彼に対する愛に全く失敗して激情を抑えきれず、他のことでも悪意を示していたが、ついに彼の姉妹がパンアテナイア祭に籠を運ぶはずだったのにハルモディオスを柔弱だと罵って妨害し、その結果憤激したハルモディオスとアリストゲイトンとが大勢と一緒になってあの事件を遂行したのであった。パンアテナイア祭に彼らはすでにアクロポリスにおいて(僭主)ヒッピアスを狙っていたが(たまたま彼は祭列を迎える役でヒッパルコスは送り出す役だった)、計画に加わった者の一人がヒッピアスと馴れ馴れしく話し合っているのを見て彼に秘密を打ち明けているものと思い、逮捕される前に何事かを決行しようと欲し、アクロポリスを下って<他の連中>を待たずに、レオコレイオンのそばで行列を整理していたヒッパルコスを殺したが、全計画は水泡に帰してしまった。彼ら二人の中ハルモディオスはただちに槍を持った護衛兵のために殺され、アリストゲイトンは後に、捕らえられて久しく拷問を蒙って死んだ。


同上

このときのことを歌ったものかどうかは分かりませんが、シモーニデースの詩の断片とされるものにこういうものがあります。

人間であるからには、明日が来ると何が起こるかを言うことは出来ない、
祝福されているように見える人が、いつまでそうでいられるのかも。
すぐに私たちの運命は変わる、翅の長いトンボでさえ
それほど急に向きを変えはしないのに。

この事件のあと、シモーニデースは新たなパトローンとしてテッサリアのアレウアス家やスコパス家を見つけました。これらの家系の人々はテッサリアの複数の都市で権力を握っていました。シモーニデースはテッサリアに移住します。