神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テーノス(5):ポリュクラテース

テーノスはBC 6世紀後半サモスの僭主ポリュクラテースの支配下にあったかもしれません。少なくともテーノス島のすぐ近くにあるデーロス島は一時期ポリュクラテースの支配下にありました。そのことからテーノスも同じようにポリュクラテースの支配下にあったのではないか、と推測しました。


ポリュクラテースはエーゲ海全体の支配を目指していましたが、その途上でペルシア人オロイテスに騙されて殺されました。

サモスを掌握した当初、ポリュクラテスは国を三分して兄弟のパンタグノスとシュロソンに頒ったのであるが、その後その一人を殺し、年下のシュロソンを国外に追放して遂にサモス全土を手中に収めた。サモス全島を制した後(中略)短期日の間にポリュクラテスの脅威は急速に増大し、イオニアはじめその他のギリシアにもあまねくその名が響きわたった。それも当然で、彼が兵を向けるところ、作戦はことごとく成功したのである。ポリュクラテスは五十橈船百隻、弓兵一千を擁し、相手が何者であろうと容赦なく掠奪行為をほしいままにした。(中略)彼が占領した島は多数に上り、大陸でも多数の町を占領した。


ヘロドトス著「歴史」巻3、39 から

われわれの知る限りではポリュクラテスが、海上制覇を企てた最初のギリシアであったからである。もちろん(神話に登場する)クノッソスのミノスや、また彼以前に海を制した者がいたとしても、それはこの限りではない。いわゆる人間の世代(=歴史時代)に入ってからでは、イオニアおよび諸島嶼を支配せんものと、満々たる野望を抱いていたポリュクラテスをもってその嚆矢とするのである。


ヘロドトス著「歴史」巻3、122 から

このポリュクラテースがデーロス島支配下に置いたことは、トゥーキュディデースの以下の2つの記事から読み取ることが出来ます。

(ペルシア王)カムビュセースの時代にサモス島の独裁者であったポリュクラテースも海軍力を充実させて、他の島々をサモスの隷属国にし、レーネイア島を奪ってこれをデーロス島アポローン神に奉納した。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1、13 から

レーネイア島はデーロスから手の届く近距離にある。かつてサモス島の独裁者ポリュクラテースが海軍をもって覇を唱え諸島嶼を配下に収めた折、レーネイアを奪ってこれをデーロスと鎖で結びつけ、デーロスの神アポローンに献上したというくらいである。


トゥーキュディデース著「戦史」巻3、104 から

デーロス島とレーネイア島の位置関係を以下に示します。


ポリュクラテースが活躍した時代は、すでに小アジアにペルシアが進出していた時代でした。そしてこの時代にペルシアはエジプトを征服しました。ポリュクラテースの死後にはサモス島もまた征服されました。テーノスはこの時に再び独立したようです。しかしその後、テーノスはナクソス島支配下に入ったようです。ヘーロドトスによれば、この頃ナクソスはテーノス島よりも北のアンドロス島支配下に置いていたということなので、位置関係から考えると、テーノスもナクソス支配下にあったものと推測出来ます。その記事というのは、BC 499年のペルシアのナクソス侵攻の時の話で、ペルシアの支配下ミーレートスの僭主の地位を保っていたアリスタゴラスがペルシアの高官アルタプレネスにナクソス侵攻を勧める際に、次のように言ったというものです。

「あなた(=アルタプレネス)はこの挙によって、ナクソスはもとより、ナクソスに従属しているパロスアンドロスなど、いわゆるキュクラデスの他の島々をも、(ペルシア)大王の版図に加えることがおできになることも、お忘れなきよう。さらにこれらの島を基地になされば、エウボイアを攻撃なさることも容易となりましょう。・・・・」


ヘロドトス著「歴史」巻5、31 から

ここにはアンドロスナクソスに従属している、と書かれており、他のキュクラデス諸島のいくつかも従属しているような書きぶりです。おそらくテーノスもナクソスに従属していたのでしょう。

(上:キュクラデス諸島)