神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

2022-01-01から1年間の記事一覧

スキューロス(1):テーセウスの最期

スキューロス:目次へ ・次へ スキューロス島はエーゲ海の中でやや孤立した場所にあります。アテーナイ王テーセウスが住民の反乱にあった時にこの島に逃げたという伝説がありますが、テーセウスが逃亡先にここを選んだのは、この孤立した位置も理由のひとつ…

スキューロス:目次

都市一覧へ 1:テーセウスの最期 スキューロス島はエーゲ海の中でやや孤立した場所にあります。アテーナイ王テーセウスが住民の反乱にあった時にこの島に逃げたという伝説がありますが、テーセウスが逃亡先にここを選んだのは、この孤立した位置も理由のひ…

アンドロス(7):その後のアンドロス

アンドロス:目次へ ・前へ ギリシア勢がペルシア勢をエーゲ海から駆逐すると、アンドロスとしてもギリシア諸都市と和解せざるを得なくなりました。アテーナイが対ペルシア軍事同盟であるデーロス同盟を組織すると、アンドロスはこれに参加しました。しかし…

アンドロス(6):ペルシア戦争

アンドロス:目次へ ・前へ ・次へ この時のナクソス侵攻は、ミーレートスの僭主アリスタゴラスとペルシアの高官アルタプレネスが仲たがいしたために失敗しました。しかし、BC 490年にはペルシアは態勢を立て直してナクソスに侵攻し、これを占領しました。そ…

アンドロス(5):植民活動

アンドロス:目次へ ・前へ ・次へ エレトリアから独立したアンドロスはBC 650年頃、カルキディケー半島に4つの植民市を建設しました。それらはアカントス、スタゲイラ、アルギロス、サネーという町です。英語版のWikipediaの「アカントス」の項によれば、ア…

アンドロス(4):レーラントス戦争

アンドロス:目次へ ・前へ ・次へ BC 8世紀頃、ギリシア世界の中で一番繁栄していたのは、アンドロス島の北にあるエウボイア島でした。その中でもエウボイアのまん中あたりにある2つの都市、カルキスとエレトリアが繫栄していました。地理学者ストラボーン…

アンドロス(3):神話と歴史の間の闇の長さ

アンドロス:目次へ ・前へ ・次へ いつものことですが、いろいろな町の神話伝説をご紹介していくと、あるところでその後をたどることが出来なくなり、歴史が見えてくるところまで時代を下らなければならなくなります。つまり、神話と歴史の間には断層があり…

アンドロス(2):ティツィアーノの「アンドロス島のバッカス祭」

アンドロス:目次へ ・前へ ・次へ 前回 もし、アンドロス島の人々がディオニューソス神を強く信仰していたのであれば、その由来となる神話・伝説のたぐいがあるのではないかと思い、探したのですが、今のところ見つかっていません。 と書いたのですが、今回…

アンドロス(1):神話時代

アンドロス:目次へ ・次へ ギリシア本土の東側に長くのびる形であるのがエウボイア島です。このエウボイア島から南に連なるのがアンドロス島、テーノス島、ミュコノス島です。ミュコノス島のすぐ西にある小さな島が、歴史時代にアポローン神の聖地として栄…

アンドロス:目次

都市一覧へ 1:神話時代 ギリシア本土の東側に長くのびる形であるのがエウボイア島です。このエウボイア島から南に連なるのがアンドロス島、テーノス島、ミュコノス島です。ミュコノス島のすぐ西にある小さな島が、歴史時代にアポローン神の聖地として栄え…

スタゲイラ(7):アリストテレース

スタゲイラ:目次へ ・前へ (左:アリストテレース) スタゲイラはアリストテレース誕生の地という、ほとんどそのことのみで有名ですが、アリストテレースはこの地にそれほど長く住んでいたわけではなかったようです。 父はマケドニア王アミュンタス3世(ア…

スタゲイラ(6):マカーオーン(2)

スタゲイラ:目次へ ・前へ ・次へ さて、マカーオーンについては前回、矢に射られた場面しかご紹介していなかったので、ちゃんと軍医として活躍した場面も紹介いたします。これもイーリアスの中の一場面です。 「タルテュビオスよ、一刻も早くマカーオーン…

スタゲイラ(5):マカーオーン(1)

スタゲイラ:目次へ ・前へ ・次へ アリストテレースの父ニーコマコスはスタゲイラ出身の医者であり、その家系は代々医者の家系であったと伝えられています。アリストテレースの母親はエウボイア島のカルキスの出身で、やはり医者の家に生まれたということで…

スタゲイラ(4):ペルシア→アテーナイ→スパルタ→マケドニア

スタゲイラ:目次へ ・前へ ・次へ その後スタゲイラはペルシアの支配下にありました。BC 480年、ペルシア王クセルクセースは陸海両軍を率いてギリシア本土を征服しようとしました。この時、進軍の経路に当っていたスタゲイラは、ペルシア軍への従軍を強要さ…

スタゲイラ(3):ペルシアの影

スタゲイラ:目次へ ・前へ ・次へ BC 600年頃は七賢人が活躍した時代でした。七賢人とは誰のことをいうのかについては多くの説がありますが、ミーレートスのタレース、アテーナイのソローン、ミュティレーネーのピッタコス、スパルタのキローン、プリエーネ…

スタゲイラ(2):植民活動

スタゲイラ:目次へ ・前へ ・次へ スタゲイラが建設されたBC 655年頃からその後、スタゲイラにどのようなことが起ったのか調べてみたのですが、なかなか「これは」という情報を見つけることか出来ませんでした。スタゲイラが建設された時代は、小アジアでは…

スタゲイラ(1):母市アンドロス

スタゲイラ:目次へ ・次へ スタゲイラは有名な哲学者アリストテレースが生まれた町として知られています。逆に言えばそれ以外の情報はあまり見つかりません。そのような町の歴史について、私のような素人がどこまで書くことが出来るのか、やってみました。 …

スタゲイラ:目次

都市一覧へ 1:母市アンドロス スタゲイラは有名な哲学者アリストテレースが生まれた町として知られています。逆に言えばそれ以外の情報はあまり見つかりません。そのような町の歴史について、私のような素人がどこまで書くことが出来るのか、やってみまし…

ポテイダイア(8):開城

ポテイダイア:目次へ ・前へ (上:ポテイダイアを上空から見たところ) ポテイダイアの包囲が始まったのはBC 432年の夏でした。それから2年経ったBC 430年の夏もまだ包囲は続いていました。この頃、アテーナイ本国では流行病がはやっていました。流行病は…

ポテイダイア(7):アリステウス

ポテイダイア:目次へ ・前へ ・次へ 前回お話ししたようにアリステウスはコリントス人で、コリントスからの志願兵を率いてポテイダイアに援軍にやってきたのでした。攻め寄せるアテーナイに対する最初の戦いにおいてアリステウスが計画した作戦は以下のよう…

ポテイダイア(6):開戦

ポテイダイア:目次へ ・前へ ・次へ アテーナイはポテイダイアに対して次の3つの要求を伝えました。 1. パレーネー側(南側)の城壁を取壊すこと。 2. アテーナイに人質を差出すこと 3. 毎年コリントスから派遣されてくる民政監督官を退去させ、今後…

ポテイダイア(5):ペルシアの支配の終わり

ポテイダイア:目次へ ・前へ ・次へ まだポテイダイアがペルシア軍によって攻撃されている頃のことです。この時、ポテイダイアの市壁の中にはポテイダイア人だけでなくパレーネー半島のギリシア人都市からの援軍もいました。その中のスキオーネー人の部隊の…

ポテイダイア(4):津波

ポテイダイア:目次へ ・前へ ・次へ ヘレースポントス(ダルダネス海峡)でペルシア王クセルクセースが無事アジア側に渡ったことを見届けた上で、ギリシア側に引き返したのはアルタバゾスという名前の将軍が率いるペルシアの陸上部隊でした。話を少し前に戻…

ポテイダイア(3):ペルシアの支配のもとで

ポテイダイア:目次へ ・前へ ・次へ ポテイダイアがペルシアの支配下に入ったのは、イオーニアの反乱が鎮圧されたあとのBC 492年のことのようです。この年ペルシアは、イオーニアの反乱で影響力が落ちたトラーキア地方を再度征服しつつ西に進み、マケドニア…

ポテイダイア(2):初期の歴史

ポテイダイア:目次へ ・前へ ・次へ ポテイダイアの創建の様子の想像を続けます。ポテイダイアへの植民団の団長には英雄ヘーラクレースの子孫とされる人物が任命されたと想像します。というのは、コリントスからの植民については、そのような例が多いからで…

ポテイダイア(1):はじめに

ポテイダイア:目次へ ・次へ エーゲ海の北西にあるフォークのような形をした地形はカルキディケー半島といいます。3本のフォークの刃のような半島は東から順に、アトス、トローネー、パレーネーという名前がついています。一番東のアトス半島にはギリシア…

ポテイダイア:目次

都市一覧へ 1:はじめに エーゲ海の北西にあるフォークのような形をした地形はカルキディケー半島といいます。3本のフォークの刃のような半島は東から順に、アトス、トローネー、パレーネーという名前がついています。一番東のアトス半島にはギリシア正教…

サモトラーケー(10):サモトラケのニケ

サモトラーケー:目次へ ・前へ サモトラーケーの町自体は、歴史においてあまり活躍するところがありませんでしたが、偉大なる神々の聖地の名声はギリシア世界を越えて広まりました。そして、この聖地では、ヘレニズム時代、ローマ時代を通じて建造物が増え…

サモトラーケー(9):ペラスゴイ人(2)

サモトラーケー:目次へ ・前へ ・次へ このようにペラスゴイ人はルウィ語を話す人々だ、と断言したいところですが、気になることもあります。それは、レームノス島から出土したギリシア語ではない碑文の存在です。この碑文の文字はギリシアのアルファベット…

サモトラーケー(8):ペラスゴイ人(1)

サモトラーケー:目次へ ・前へ ・次へ 話はサモトラーケーから離れてしまいますが、ペラスゴイ人とは何者なのか、自分なりに追及してみたいと思います。もちろん、専門家の間でもペラスゴイ人がどのような民族なのかいまだに分かってはいない問題なので、私…