神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アンドロス(1):神話時代


ギリシア本土の東側に長くのびる形であるのがエウボイア島です。このエウボイア島から南に連なるのがアンドロス島テーノス島、ミュコノス島です。ミュコノス島のすぐ西にある小さな島が、歴史時代にアポローン神の聖地として栄えていたデーロス島です。神話によれば、アンドロス島の初代の王は島と同じ名前のアンドロスという人物で、デーロス島の初代の王アニオスの息子とされています。アンドロスの母親の名前はよく分かりません。アニオスの父親は神アポローンで、アポローン自身が彼をデーロス島の王にしてアポローンの祭司にしたということです。歴史時代、デーロス島アポローン神の聖地でした。この伝説に従えばアンドロスはアポローン神の孫ということになりますが、歴史時代アンドロス島で有名だった神殿はアポローンのためのものではなく酒の神ディオニューソスに捧げられた神殿でした。ここでアンドロスとディオニューソス神の親族関係を確かめておくと、アンドロスの父親アニオスの母親がロイオーといい、ロイオーの父親がナクソス島の王スタピュロスで、このスタピュロスの父親がディオニューソス神、母親はクレータ島の王女アリアドネーとなっています。アンドロスにはアポローン神の血だけでなく、ディオニューソス神の血も流れていたことになります。




(右:ディオニューソスアリアドネー)


アンドロス島が光と予言の神アポローンよりも酒の神ディオニューソスをより崇拝していたことは、歴史家ヘーロドトスが伝える次の説話にも暗示されているようです。

ところで極北人について、他と比較にならぬほど多くを語っているのはデロス人である。そのいうところによれば、麦藁に包んだ供物が極北人の国から運ばれてスキュティアに着き、スキュティアからは隣国の住民が次々に受け渡して西方遥かアドリア海に至り、供物はここから南方に転送され、ギリシア人で最初にこれを受け取ったのはドドネ人であったという。ここから南下してマリス湾に達し、海を渡ってエウボイア島に上陸し、町から町へ運ばれてカリュストスに着いた。ここからの道順ではアンドロス島が省かれた。カリュストス人はこれをテノス島に運んだからで、最後にテノス人デロス島へもたらしたのであるという。


ヘロドトス著「歴史」巻4、33 から

「極北人(ヒュペルボレオイ)」というのは北の果ての国に住むと言われていた空想上の種族で、その人々は皆、アポローン神の崇拝者だということです。その極北人がデロス島に定期的に供物を捧げるのですが、自分たちが直接出向いて捧げるのではなく、隣国の人々に言づけて運んでもらっていたといいます。そしてエウボイア島の南端の町カリュストスからは、供物はアンドロス島を飛ばしてテーノス島に届けられ、最後にテーノス島からデーロス島に運ばれたのでした。

この伝説を語っているのはデーロス島の人々です。この伝説でアンドロス島を不自然に飛ばしているところ(地図を見れば、その不自然さが分かります)に、アンドロス島がデーロス島の神アポローンの御稜威に服していない様が感じ取れます。日本の事物に引き当てて言えば、アンドロス島はデーロスのアポローン神殿の氏子ではなかった、というところでしょうか。


もし、アンドロス島の人々がディオニューソス神を強く信仰していたのであれば、その由来となる神話・伝説のたぐいがあるのではないかと思い、探したのですが、今のところ見つかっていません。


ところで、アンドロスの父アニオスは、トロイア戦争におけるトロイア側の将アイネイアースの父親アンキーセースと友人関係にあったと言います。ウェルギリウス叙事詩アエネーイス」には、トロイアから落ちのびたアンキーセースとアイネイアースがデーロス島に立ち寄り、アニオスに歓待される場面があります。アニオスとアンキーセースが同年代であるとすると、アンドロスはトロイア戦争で活躍する英雄たちと同年代であることになりそうです。そうだとすると、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」に出ていたペイディッポスの伝説と同時代のことになります。

ペイディッポス
ヘーラクレースの子テッサロスの子。ヘレネーの求婚者の一人。トロイア戦争にはニーシューロス、コース、カルパトス、カソスの島々の軍勢を率いて、50隻の船で参加。(中略)トロイア陥落後コース人とともにアンドロス島に定住。


高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」の「ペイディッポス」の項より

ペイディッポスがコース島の住民とともにアンドロス島に移住した際、アンドロスはどうしたのか気になりますが、そのことを記した資料を見つけることが出来ませんでした。


このあと伝説が伝わっていない時代、いわゆる暗黒時代が続きます。