神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモトラーケー(8):ペラスゴイ人(1)

話はサモトラーケーから離れてしまいますが、ペラスゴイ人とは何者なのか、自分なりに追及してみたいと思います。もちろん、専門家の間でもペラスゴイ人がどのような民族なのかいまだに分かってはいない問題なので、私の想定など根拠はほとんどないことでしょう。


まずホメーロスの「イーリアス」には、トロイアに味方する者たちとしてペラスゴイ人が登場します。

またヒッポトオスは槍に名だたるペラスゴイのうからやからを
率いて来た、土くれの沃(こ)えたラリッサに住居する 者らであるが、
その人々を率いるのはヒッポトオスに ピュライオスとて軍神の伴(とも)、
ペラスゴイ人テウタモスの裔 レートスが二人の息子といわれる。


ホメーロスイーリアス」第2書 840~850行あたり 呉茂一訳 より

このことと、神話ではサモトラーケー出身のダルダノスの子孫がトロイアの王家になっていることや、ヘーロドトスがサモトラーケーにかつてペラスゴイ人がいたと書いていることなどから、トロイア人とペラスゴイ人は同族かあるいは似たような種族ではなかったか、と私は推測します。私はトロイア人がインド・ヨーロッパ語族アナトリア語派のルウィ語という言語を話していたと推測しているので、ペラスゴイ人もルウィ語かそれに似た言語を話していたのではないか、と思います。ところで、ヘーロドトスやトゥーキュディデースはペラスゴイ人をギリシアの原住民であるように書いています。つまり、サモトラーケーやトロイアだけでなく、ギリシア本土にもペラスゴイ人が元々住んでいたとしています。2人は次のように書いています。

現在のギリシア――以前はペラスギアと呼ばれていたもので、この二つは同じである――


ヘロドトス著「歴史」巻2、56 から


(上:古代文書に現れるペラスゴイ人の居住地)

現在「ヘラス(=ギリシアのこと)」の名で呼ばれる土地に住民が定着するようになったのは、比較的に新しい時代のことである。これより古くは、住居は転々として移り、個々の集団は、より強大な集団によって圧迫されると、そのつどそれまで住んでいた土地を未練なく捨てて、次の地に移っていった。(中略)
思うに「ヘラス」という、国の名前すらはじめは存在していなかったらしい。デウカリオーンの子ヘレーン以前には、事実この名称は全く存在せず、個々の部族名、なかんずくペラスゴイ族の名が、各々の住む土地の名称として用いられていた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・2~3 から

するとルウィ語を話す人々がかつてはギリシア全土に住んでいたのでしょうか? これを支持するような記述を風間喜代三著「印欧語の故郷を探る」に見つけました。

ルウィ語の話手の場合
 アナトリアではヒッタイト語族とは別に、むしろそれより早くこの地に入ったと思われる集団がいた。それはルウィ語の話手である。彼らの言語資料は、ヒッタイト帝国時代のものは楔形文字でしるされた断片だが、そのほかに紀元前十世紀から八世紀ごろの象形文字による碑文が残されている。彼らはアナトリアの西部から南部に居住していたらしく、その中心はヒッタイト文書においてアルザワ国と呼ばれている地域であった。
 現在のトルコの南西部にあって非常に古い先史時代の遺跡を残すベイチェスタンの、紀元前二千年ころの層から出土した粘土の印章に認められる象形文字が、後のルウィ語の話手のもったものと同じ文字の伝統につながるとすれば、彼らは後のヒッタイト語の形成者たちとは別個の集団として、この地に侵入してきた人たちと考えられる。彼らはヒッタイト語の話手たちとのかかわり以上に早くから西のほうに目をむけていた。というのは、古代ギリシアにはLarissaとかParnassosのように、-ss-という接尾辞をもった地名が、Crinthosのような-nth-をもった地名とともに、数多くみられる。そして、同じこの接尾辞をもった形が、ヒッタイト文献の記録する小アジアの地名にも多い。例えば、アルザワ国のなかにもApassa, Hattarassa, Maddunassaなどがある。これはルウィ系の言語の話手が、後のギリシア人の地に早くに進出していたことをうかがわせるものである。歴史時代のギリシア語が、言語としては印欧語の形態を保ちつつ、多くの外来語の要素を加えて形成されたものであることを思うと、その中には小アジアからもかなりの要素が吸収されたに違いない。


風間喜代三著「印欧語の故郷を探る」より

ギリシア人より先にルウィ語を話す人々が小アジアからギリシア本土に広く住んでいて、彼らがペラスゴイ人とのちに呼ばれるようになった。そしてペラスゴイ人よりあとになってギリシア人がおそらく北方から侵入してきた、というのが私の想定です。