さて、マカーオーンについては前回、矢に射られた場面しかご紹介していなかったので、ちゃんと軍医として活躍した場面も紹介いたします。これもイーリアスの中の一場面です。
「タルテュビオスよ、一刻も早くマカーオーンを此処へ招(よ)んできてくれ、
あの申し分なく優れた医師(くすし)、アスクレーピオスの息子だと言う武士を、
アレースの伴(とも)なるアトレウスの子 メネラーオスを診て貰おうから。
何者か、トロイエー人かリュキア人中 弓矢の業に達した者が、
矢を射て彼をうったのだ、己(わ)が身の誉れ、我々が嘆きともして。」
こうしてマカーオーンが呼ばれます。彼自身、戦場で戦うこともあったのですが、同時に軍医も兼ねていたのでした。マカーオーンが矢を受けたメネラーオスのところへやってくると、以下のように手当てをします。
いよいよ金髪のメネラーオスが 矢傷を受けているところへ
やって来ると、周囲には輪をつくって、居合わすほどの大将たちが
集っていたが、神にも等しい武士は つかつかとまん中に進み寄って
すぐさま、ぴったり合わさった腹帯から矢を引きぬこうとする、
と、逆しまに引き抜かれて出る矢の 鋭い鉤がこわれてとれた。
そこで、いときらきらしい腹巻をほどいてから、またその下の
腹帯や鎧下(よろいした)まで、鍛冶(かぬち)の者らが骨折って造ったものを取り去った上、
さてそれから傷の、かの苦痛を与える矢が ささり込んだ場所を調べて、
血を吸い出し、その上に痛みを止める薬草を、心得ふかく
塗りつけたが、その薬はもと彼の父へ ケイローンが親切心からくれたものである。
同上
アリストテレースの父ニーコマコスは医者だったのですが、マカーオーンはいかにも医者の祖先としてふさわしい神話上の人物でした。
さて、このマカーオーンの息子がニーコマコスで、高津春繁著「ギリシア・ローマ神話辞典」には以下のように書かれています。
マカーオーンはアンティクレイア(ディオクレースの娘)を娶り、ニーコマコス、ゴルガソスの二子を得た。
残念ながらこの「ギリシア・ローマ神話辞典」には「ニーコマコス」の項はありません。そのためニーコマコスにまつわる伝説を見つけることが出来ませんでした。それはさておき、このニーコマコスの子孫がメッセーネーに代々住み、その後スタゲイラに移住してアリストテレースの父親のニーコマコスに至ったわけです。
私が面白いと思ったのは、貴族ではないアリストテレースのような家系においても神話時代の人物を祖先とする言い伝えがあったということです。アリストテレースの家庭には、マカーオーンの息子ニーコマコスから、アリストテレースの父親ニーコマコスに至る系譜が伝えられていたのでしょうか? 私たちにはこの二人のニーコマコスの間の系譜が残されていません。私はそういうものを知りたいと思ってしまいます。
私が今回調べてもう一つ面白いと思ったのは、英雄時代の人物マカーオーンを助けたネストールが実は哲学者プラトーンの先祖と伝えられていることです。アリストテレースは17歳の時にアテーナイに赴き、プラトーンの主宰する学園アカデメイアに入門したのでした。つまり、アリストテレースとその師プラトーンの両方の祖先が、ホメーロスのイーリアスの中で前回紹介したように近しい間柄だったということです。なんだか因縁めいてきます。さて、ネストールからプラトーンまでの系譜も完全には知られていません。現在まで伝わっているのは、以下のような途切れ途切れの系譜です。ネストールの子孫にアンドロポンポスという人物がおり、その子がメラントスで、ピュロスからアテーナイに来てアテーナイ王になりました。メラントスの子がコドロスでやはりアテーナイ王になりました。プラトーンの父アリストンはこのコドロスの子孫だとディオゲネース・ラーエルティオスが書いています。ネストールからアンドロポンポスまでの系譜とコドロスからアリストンまでの系譜は伝えられていません。