神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書いていきます。

スタゲイラ(3):ペルシアの影

BC 600年頃は七賢人が活躍した時代でした。七賢人とは誰のことをいうのかについては多くの説がありますが、ミーレートスのタレース、アテーナイのソローン、ミュティレーネーのピッタコス、スパルタのキローン、プリエーネーのビアスは、どの説でも七賢人のうちに数えられています。この中でアテーナイのソローンやミュティレーネーのピッタコスは、貴族と平民の対立を緩和するために活躍した政治家でもありました。ミュティレーネーのピッタコスは貴族ではなかったようで、ミュティレーネーの貴族の一員であり詩人であったアルカイオスは、ピッタコスのことを次のように詠んで貶しています。

生れ賤しいピッタコス
皆でたかって大いに賞めそやし
肝玉のない不幸な国の僭主に立てた。


アリストテレース政治学」山本光雄訳 第3巻14章10節より

アルカイオスの一族はピッタコスによって国を追放されたので、ピッタコスに敵意を持っていたのでした。また、アテーナイのソローンも国内で対立する2つの勢力の均衡をとるのに苦労しました。ソローン自身が作った詩にはこう書かれています。

私は民衆に充分なだけの力を与え、
その名誉を損ないもせず、附け加えもしなかった。
権力があり富を羨まれる人々についても
私は不当の扱いをせぬように配慮した。
私は双方を力強い楯でかばって立ち、
どちらにも不当の勝利を許さなかった


プルタルコス「ソロン伝」村川堅太郎訳 18章 より

このような老練な政治家が現れた場合にはその都市はうまく運営されるのですが、そのような人材に恵まれない場合にはその都市は激しい政争の場となるのでした。スタゲイラでは有能な調停者が現れたのか、それとも激しい政争が繰り返されたのか、情報を得ることが出来なかったので想像するしかありません。

(上:スタゲイラの城壁の跡)


またこの頃、ギリシア諸都市は近隣の都市と頻繁に戦争していました。そして先ほど述べた都市内での派閥争いが、往々にして別の都市の勢力と結びついたために、戦争の展開も一筋縄ではいかないのでした。このように自分の都市内で、あるいは近隣の都市間で常に争いごとを行っているうちに、大きな脅威が東からギリシア人の住む世界に迫ってきました。それはペルシア王国です。七賢人のうちミーレートスのタレースは、ペルシアの脅威を直接感じた人でした。小アジアエーゲ海沿岸のイオーニア地方がいよいよペルシアの脅威にさらされた時、タレースはイオーニアのギリシア人諸都市を統一して一つの国作ることを提案しています。しかしこの提案は聞き入れられず、イオーニアの諸都市は個別にペルシア軍と戦い、そしてその全てがペルシアに征服されてしまいました(BC 546年)。タレースはこの頃に生涯を終えたということです。ペルシアによる征服戦争に巻き込まれたのでしょうか? この頃タレースは高齢だったので、自然死であってもおかしくないのですが、そこのところの事情はよく分かりません。


この時のペルシア王は初代のキューロスでしたが、キューロスはこのあとペルシアは南のバビロニアを征服しました。二代目の王カンビュセースはエジプトを征服しました。三代目の王ダーレイオスはスキュティア(今のモルドバからウクライナ)を征服しようとして失敗しましたが、この時に部下のメガバゾスに命じてトラーキアを征服させました(BC 513年頃)。

ダレイオスはトラキアを通過して、ケルソネノスのセストスに着いた。ここから自分は船でアジア(小アジアのこと)に渡ったが、ヨーロッパにはペルシア人メガバゾスを総司令官として残しておいた。


ヘロドトス著「歴史」巻4、143 から

ダレイオスがヨーロッパに残していった、メガバゾス麾下のペルシア軍は、ヘレスポントス附近の町のうち、ダレイオスに従おうとしないペリントスを、最初に制圧した。(中略)ペリントス攻略の後、メガバゾスはトラキアを通って軍を進め、この地方の町および民族をことごとく大王に帰属させた。トラキアを平定せよという指令を、ダレイオスから受けていたからである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、1~2 から


この時にトラーキアを征服したペルシア軍総司令官メガバゾスは、その西のマケドニアにペルシアへの臣従を促す使節団を送っています。スタゲイラはマケドニアより東側に位置しますので、スタゲイラもこの時ペルシアからの攻撃を受けたのではないかと思います。