アリストテレースの父ニーコマコスはスタゲイラ出身の医者であり、その家系は代々医者の家系であったと伝えられています。アリストテレースの母親はエウボイア島のカルキスの出身で、やはり医者の家に生まれたということです。父親のニーコマコスの祖先はギリシア神話に登場する医師の神アスクレーピオスだといいます。アスクレーピオスの息子がトロイア戦争で活躍した軍医マカーオーンで、マカーオーンの息子がニーコマコスで、その子孫がアリストテレースの父になったニーコマコスだということです。
マカーオーンについては、ホメーロスの「イーリアス」の以下の箇所に登場します。
さてその次はトリッケーや 嶮しい丘のイトーメーを領する者ら、
またオイカリア人エウリュトスの城 オイカリアを領する者ども、
その人々を率いるのは アスクレーピオスが二人の息子ら、
すぐれた腕の医師(くすし)である ポダレイリオスと さらにマカーオーン、
この両人に随(つ)き、三十艘の 中のうつろな船々が 陣にならんだ。
これによればマカーオーンはトリッカ(=トリッケー)の領主となっています。通常はトリッカの所在をギリシア本土の北部のテッサリアに求めます。しかし、ペロポネーソス半島の南西部メッセーネー地方の人々によれば、トリッカはメッセーネーの土地だということです。
そのことをパウサニアスが以下のように伝えています。
というのは、トロイアに行ったアスクレーピオスの息子たちはメッセネー人であり、アスクレーピオスはレウキッポスの娘アルシノエーの息子(父親はアポローン神)であって、(通説のように)コローニスの娘ではないと彼ら(メッセーネー人)は言い、メッセーネーのある荒れ地を彼らはトリッカという名前で呼び、ホメーロスを引用しました。そこ(ホメーロスのイーリアス)ではマカーオーンが矢で負傷した時に、ネストールがマカーオーンを親切に世話したのでした。彼は同族の隣人で王である者を除いてそのような親切を示さなかったでしょう。
ネストールというのはメッセーネーの西隣にあるピュロスの王です。「ネストールがマカーオーンを親切に世話した」というのは、ホメーロスの「イーリアス」の以下の場面のことを指しています。
して、かならず尊いアカイア勢も、その往く手から退(さが)りはしなかったろう、
もし、頭髪(かみのけ)も美しいヘレネーの夫なるアレクサンドロスが、
三鉤の征矢(そや)を 右の肩へと射当ててからに、兵(つわもの)どもの
牧の長なるマカーオーンが 勇戦するのを 邪魔しなかったら。
すなわち、そのため、武勇をきそうアカイア軍も、もしひょっとして
戦況が逆転したとき、彼が捕(つか)まりはしないかと、いたく恐れた。
それで、この折、イードメネウスは 尊いネストールに 声をかけるよう、
「おお、ネーレウスの子のネストール、アカイア軍の大いな誉れよ、
さあ、御身は車に乗り込んで、その傍らにマカーオーンを
載せていって下さい、して一刻も早く、単蹄の馬どもを船に
お向けなさい、医師(くすし)の方は、他の多勢にも引き当たるもの」
こう言えば、ゲレーンの騎士ネストールは 一議に及ばず、
すぐさま、自分の馬車に乗り込んで、その傍らにマカーオーンを
載せていった、貴い医師なるアスクレーピオスの息子である。
して、馬どもに鞭をくれれば、番(つが)いの馬は いそいそとして
うつろに刳った船々へと翔っていった、おのが心の望むところへ。
ネストールは矢に射られて負傷したマカーオーンを戦車に乗せて戦場から連れ出し、自分の陣地で療養させたのでした。メッセーネーの人々は、ネストールが親切にしたのはマカーオーンが隣国の王でネストールと同族であったからだと説明して、マカーオーンがメッセーネー人であることの証拠としたわけです。
広く知られた伝説ではマカーオーンはギリシア本土北部の領主と考えられていますが、ここではメッセーネーの人々が伝える、マカーオーンはメッセーネーの領主であるという説を紹介しました。どうしてこの説を紹介したのかと言いますと、藤井義夫著「アリストテレス」にはアリストテレースの父親ニーコマコスの先祖はメッセーネーの人であったと書いてあったからです。
かれ(=アリストテレース)の父ニコマコスは医学の神アスクレピオスの後裔といわれ、かれの先祖は8世紀か7世紀頃ペロポンネソスの西南部、メッセニア地方から移民してきたものらしい。
藤井義夫著「アリストテレス」 より
アリストテレースの父ニーコマコスの祖先がマカーオーンであるという伝説と、藤井義夫著「アリストテレス」にあるニーコマコスの祖先がメッセーネー人だったという記述が、マカーオーンがメッセーネー人であるという伝説によって私の中で結びつきました。