神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スキューロス(1):テーセウスの最期


スキューロス島エーゲ海の中でやや孤立した場所にあります。アテーナイ王テーセウスが住民の反乱にあった時にこの島に逃げたという伝説がありますが、テーセウスが逃亡先にここを選んだのは、この孤立した位置も理由のひとつだったのかもしれません。


テーセウスの最期にまつわるこのお話は、テーセウスが親友ペイリトオスと、互いに「大神ゼウスの娘を妻にしよう。そしてそのためには協力し合おう」と誓い合ったことから始まります。テーセウスが妻にと決めたのはまだ少女だったヘレネーです。彼女はスパルタ王テュンダレオースとその后レーダーの娘でしたが実の父親はゼウス神であるとの評判の娘でした。そして、のちに絶世の美女と言われ、トロイア戦争の原因になったという女性でした。ペイリトオスのほうは何を考えたのか冥界の王妃ペルセポネーを奪って自分の妻にすると言い出しました。確かにペルセポネーも大神ゼウスの娘には違いありません。しかし、ペルセポネーは恐ろしい死者の国の女王なのでした。なぜ、そのような女性(女神)を妻にしたいと思ったのでしょうか。それはともかく、まず二人はスパルタに攻め込んで(当時10歳だったという)ヘレネーを誘拐してきたといいます。次に二人はペルセポネーを求めて冥界に降って行きました。冥界の王ハーデース(つまりペルセポネーの夫)は二人の企みに気付かぬふりをして歓待する様子をみせ、二人に椅子を勧めました。この椅子は忘却の椅子と言って、座ったものはそのまま動けなくなる椅子でした。二人は座るやいなや固まってしまいました。


そして時が流れていきました。のちに英雄ヘーラクレースが冥界の犬ケルペロスをハーデースから貸してもらうために冥界にやって来た時に、この二人の様子を見ました。ヘーラクレースはハーデースに二人の釈放をお願いし、テーセウスを助けることは出来ましたが、ペイリトオスを椅子から立たせようとすると大地が震動しました。ヘーラクレースはこれに神意を感じて、ペイリトオスの救出を断念しました。こうして地上に戻ったテーセウスが見たのは、自分を王と認めないアテーナイ市民たちでした。テーセウスが冥界にとらわれていた間に、ヘレネーの兄たちがアテーナイを攻めてヘレネーを取り返し、さらにメネステウスという者をアテーナイ王に据えたのちに去っていったのでした。


ここからあとはプルータルコスのテーセウス伝に語ってもらいます。

テセウスが直ちに以前のとおり支配者として国政を統べようと欲したところが、反抗と混乱に出会い、彼が町を去る時彼に敵意をもっていたものどもは、敵意に加えて侮蔑の念をいだいているのを発見し、民衆の間にははなはだしい堕落を見、かつ彼らが命ぜられたことを黙って行なうどころではなく、機嫌を取られたがっているのを見た。そこで強制的に振舞おうとすると、こんどは煽動と反抗に出会った。そして最後には計画を断念し、子供たちをひそかにエウボイアのカルコドンの息子エレフェノルの許に送り、自分はガルゲットスの今日アラテリオン(呪いの場所の意味)と呼ばれているところで、アテネ人に対して呪いをかけ、それからスキュロスに向けて出帆した。そこの人々が自分に親愛の情をもつであろうと考えたし、その島には父の所領があったからである。


プルタルコス著「テセウス伝」 35 太田秀通訳 より

テーセウスの息子たちは名前をデーモポーンとアカマースと言いますが、彼らは父親と別れてエウボイア島に亡命しました。テーセウスはスキューロス島にやってきました。ところがテーセウスはここで命を落とすことになります。

(上:スキューロス島の主要都市スキロス)

当時スキュロス人に君臨していたのはリュコメデスであった。そこでテセウスはこの王のところへ赴いて、自分がそこに住みつくのだから所領を返してもらいたいと求めた。ある人々の説では、テセウスアテネ人を敵とする場合の援助を求めたのだといっている。ところがリュコメデスは、テセウスの名声を恐れたためか、あるいは(テーセウスが冥界に行っている間にアテーナイ王になった)メネステウスに好意を示そうとしたためか、所領を上から見せるといってテセウスをその島の高所に連れて行き、石の上から突き落として殺したのだという。しかしある人々は、テセウスは慣わしとしていたとおり食後の散策をしていた時に、自分ですべって落ちたのだといっている。その当座はテセウスが死んだことを誰一人問題にしなかった。そしてメネステウスがアテネ人の王となった。


同上

当時のスキューロスの王はリュコメーデーという者でした。というかギリシア神話に登場するスキューロス王はこのリュコメーデース以外にいません。スキューロス島という場所が神話において脇役としか考えられていなかったためなのでしょう。さて、リュコメーデースがテーセウスを突き落としたのか、それともテーセウス自身が誤って落下したのか、そこのところははっきりしませんが、テーセウスはスキューロス島で失意のまま生涯を終えることになりました。そして「その当座はテセウスが死んだことを誰一人問題にしなかった。」とあるように、のちの時代にアテーナイの一番の英雄となるテーセウスがこの時には誰の関心も引かなかったとこの伝説は述べています。この伝説を作った人々は何でこんな結末にしたのだろうと思えるような結末です。古代のギリシア人はハッピーエンドを嫌っていたのではないか、と私は思ってしまいます。


さて、テーセウスの息子たちはその後トロイア戦争に出陣しますが、このトロイア戦争の前に神話ではスキューロスがもう一度登場します。