神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アンドロス(3):神話と歴史の間の闇の長さ

いつものことですが、いろいろな町の神話伝説をご紹介していくと、あるところでその後をたどることが出来なくなり、歴史が見えてくるところまで時代を下らなければならなくなります。つまり、神話と歴史の間には断層があります。いわゆる暗黒時代というものです。アンドロスにまつわる話も、次はBC 700年頃のレーラントス戦争の話まで飛ばざるを得ません。では、神話から歴史まで連続するような伝説はどこかにないでしょうか?(アンドロスではなくても)


実はスパルタの王家の系譜が神話時代から歴史時代まで続いて伝わっています。今回は、アンドロスとは関係がありませんが、神話と歴史の間をご紹介する意味で、スパルタ王家の系譜を紹介します。スパルタ王家の祖先は英雄ヘーラクレースです。以下、次のような系譜になります。

  • 0:ヘーラクレース
  • 1:ヒュロス
  • 2:クレオダイオス
  • 3:アリストマコス
  • 4:アリストデーモス

アリストデーモスには双子の息子があり、プロクレースとエウリュステネースと言います。彼らが初代のスパルタ王になります。スパルタはめずらしいことに2王制なのです。スパルタではプロクレースを祖とする王家とエウリュステネースを祖とする王家の2つの王家のそれぞれから代々王が出ました。今回はプロクレースのほうの王家をたどっていきます。

  • 5:プロクレース
  • 6:ソオス
  • 7:エウリュポーン
  • 8:プリュタニス
  • 9:ポリュデクテース
  • 10:エウノモス
  • 11:カリラオス
  • 12:ニカンドロス
  • 13:テオポンポス
  • 14:アナクサンドリデース
  • 15:アルキダモス
  • 16:アナクシラオス
  • 17:レオーテュキデース
  • 18:ピッポクラティデース
  • 19:ヘゲシラオース
  • 20:メナレス
  • 21:レオーテュキデース

ヘーラクレースの21代の子孫のレオーテュキデースはBC 479年、小アジアエーゲ海沿岸ミュカレーで、ペルシア軍をやぶったギリシア連合軍の指揮官でした。レオーテュキデースはスパルタ王でもありましたが、傍系の出身であり、14代目のアナクサンドリデースから20代目のメナレスまではスパルタ王ではありませんでした。また、トロイア戦争にはヘーラクレースの子供が参加していますので、トロイア戦争は1代目ヒュロスの時代と想定されます。もっともヒュロスはトロイア戦争に参加していません。

(上:アンドロス島出土の混酒器。BC 750~720年)


アンドロスについて、初回にお話ししたペイディッポスの移住の話の次の話である、BC 700年頃のレーラントス戦争の話は、上の系譜では13代目のテオポンポスの在位期間に当たります。ですので、スパルタ王家の系譜において2代目から12代目までの期間、説話がないということになります。ないものは仕方がないのですが、私はいつもその中から少しでも何かを回復できないか、などと、ついつい思ってしまいます。


神話から歴史までの距離を示すもう一つの例をご紹介します。パロス島から出土されたことからパロス年代記と名付けられた大理石の碑文には、BC 1582年からBC 299年までの出来事について年代順に書かれています。これによれば、トロイアが陥落したのはBC 1208年ぐらいになるそうです。その時からBC 700年までには約500年が経過しています。つまりアンドロスについての話には約500年の空白がある、ということです。今は2022年なので、その500年前といえば1522年。日本で言えば戦国時代の初期で、織田信長はまだ生まれていない頃(信長が生まれたのは1534年)にあたります。つまり500年間というのは、それほどの長さということになります。それほどの長さの歴史について何も情報がないのが私には残念です。


考古学の知見では、ミュケーナイ文明の崩壊後、アンドロスは北のエウボイア島の文化の影響を受けていたことが分かっています。そしてBC 7世紀にはアンドロスはエウボイア島にある都市エレトリア支配下にありました。かといって、ミュケーナイ文明の崩壊後アンドロスが常にエレトリア支配下にあったと考えるのは早計だと思います。いつ頃からエレトリア支配下に入ったのか、それ以前はどういう状況だったのか、調べてもよく分かりませんでした。