神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ポテイダイア(6):開戦

アテーナイはポテイダイアに対して次の3つの要求を伝えました。
1. パレーネー側(南側)の城壁を取壊すこと。
2. アテーナイに人質を差出すこと
3. 毎年コリントスから派遣されてくる民政監督官を退去させ、今後は入国を拒否すること。
パレーネー側の城壁を取壊すように要求したのは、南側、つまりアテーナイが船でポテイダイアに向う時に到達し易い方面を無防備にするためで、これによってポテイダイアはアテーナイに対する防衛能力が損なわれることになりました。

(上:ポテイダイアの城壁の遺跡)


また、コリントスからはポテイダイアの政治に介入するための民政監督官なる役職の人物が派遣されていたのですが、それの受入れを拒否させて、ポテイダイアへのコリントスの影響を排除しようとしました。これらの要求に対してポテイダイアはアテーナイに使節を派遣して、要求の撤回を求めました。一方、アテーナイはすでにポテイダイアに向けて船隊を派遣して、上の要求を無理強いしようとしました。

アテーナイ人は、諸ポリスの離叛策に先手を打って取鎮めることを望み(ちょうどこの時、アテーナイ人はリュコメーデースの子アルケストラトスをはじめ十人の指揮官のもとに軍船三十艘、重装兵一千名を問題の地域に派遣する矢先であったので)船隊の指揮官たちにたいして、ポテイダイアから人質をとること、城壁をとりこわすこと、近隣諸都市の離叛を防ぐために警備を充分にすること、などを命令した。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・57 から

ポテイダイアも、アテーナイに使節を派遣するだけでなく、コリントスにも使節を派遣していました。この使節コリントス政府の代表とともにペロポネーソス同盟の盟主であるスパルタに赴きました。スパルタの政府関係者は、もしアテーナイがポテイダイアに進撃すれば、自分たちはアテーナイ領土に侵攻する、と約束しました。やがてアテーナイに向った使節が、アテーナイからの望ましい回答を得ることなくポテイダイアに帰ってきました。さらにアテーナイから軍船がポテイダイアにすでに向っていることも判明しました。ここに至ってポテイダイアは近隣諸都市と同盟を結び、アテーナイに対して反乱を起したのでした。


アテーナイの軍船が近づきつつあったことを知ったコリントスは、まだアテーナイとの間に休戦条約が存在していたことを考慮して、正式の援軍ではなく志願兵を募集してポテイダイアに向わせました。志願兵はコリントス人からも他の都市からも募り、その結果総勢2000名の志願兵が集まりました。一方、アテーナイの軍船はポテイダイアに近づくとすでにポテイダイアとその周辺の地域がすでに蜂起していることに気づきました。

他方、アテーナイからの三十艘の船隊はトラーキアの沿岸に近づいたが、すでにポテイダイアをはじめ、附近一帯が叛乱を起していることがわかった。指揮官たちは、(中略)叛旗をひるがえした同盟諸地方を攻めることは不可能と考えて、遠征軍の本来の目的地であるマケドニアにむかった。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・59 から

しかしアテーナイはこのままポテイダイをほうっておくつもりはありませんでした。

トラーキア地方の諸都市叛乱の報はただちにアテーナイ本国にも到着した。アテーナイ人は(中略)、カリアデースの子カリアースを筆頭とする計五人の指揮官とともに、アテーナイ人重装兵二千名と軍船四十艘を離反地域に急行させた。(中略)参加した兵数はアテーナイ人重装兵三千名、その他多数の同盟国諸兵、ピリッポスとパウサニアースの配下にあったマケドニア人騎兵隊六百騎であった。また沿岸には七十艘の軍船があって陸上部隊と並行して進んだ。小きざみの進軍をつづけて三日目にギゴーノスに着き、宿営をいとなんだ。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・61 から


こうしてアテーナイはポテイダイアを攻撃し、ポテイダイア側も城壁から出て来て応戦しました。ポテイダイア側にはコリントスから来た志願兵もいました。戦いはアテーナイ側の優位に進み、ポテイダイア勢は城壁内に押し戻されました。


ところで、この時ポテイダイア側の指揮を執っていたのはコリントス人のアリステウスという人物でした。彼は、コリントスから志願兵を率いてポテイダイアに救援に駆け付けた人物です。彼は人望の厚い人であり、コリントス出身の志願兵の大多数は、アリステウスにたいする友情が従軍の動機となっていました。また彼は、以前からポテイダイア市民と交流し、ポテイダイアを大切にしてきたので、この情勢でポテイダイアを助けようとするのは自然なことでした。志願兵を率いてポテイダイアに到着後、アリステウスはポテイダイアとその同盟軍の選挙によって全陸上部隊の総指揮官に選ばれました。それだけ軍事的な才能もあったのでしょう。