神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ポテイダイア(1):はじめに


エーゲ海の北西にあるフォークのような形をした地形はカルキディケー半島といいます。3本のフォークの刃のような半島は東から順に、アトス、トローネー、パレーネーという名前がついています。一番東のアトス半島にはギリシア正教の聖地であるアトス修道院アトス自治修道士共和国)があります。一番西のパレーネー半島の付け根あたり、一番くびれたところにポテイダイアという町がかつてありました。これら3つの半島を含めて全体をカルキディケー半島というのですが、カルキディケーという名前はエウボイアの町カルキスに由来しており、そこにカルキスによる植民市が多かったために付けられた名前です。カルキディケー半島のギリシア植民市のほとんどはイオーニア系の町でした。そのなかで唯一のドーリス系の町がポテイダイアでした。ポテイダイアはドーリス系の町コリントスの人々が植民して作った町でした。


この植民によるポテイダイアの建設はBC 600年頃と言われています。この時代になると「神話と歴史の間」ではなくて歴史が明確になりかける時代です。当時ポテイダイアを建設した人々の母市コリントスはペリアンドロスという僭主によって統治されていたことが分かっています。ペリアンドロスはコリントスの商業を発展させた人物でした。ではポテイダイア創建にまつわる話は、といいますと、残念なことに私はそのような話を見つけることが出来ませんでした。そこでポテイダイア創建の様子に想像力で迫ってみたいと思います。


まずポテイダイアという町の名前ですが、これは海の神ポセイドーンに由来するのではないかと思っています。ポセイドーンはドーリス方言ではポテイダンとかポテイダオーンとか呼ばれていたということなので(英語版Wikipediaの「ポセイドーン」の項参照)、ポテイダイアはその派生形のように思えます。さらにヘーロドトスはポテイダイアの郊外にポセイドーンの神殿があったことを記しています。このことから想像するに、この町の主神はポセイドーンだったのではないでしょうか?


では、この町のどんなところが海の神ポセイドーンにふさわしいのでしょうか? それはパレーネー半島のもっとも狭い所に建てられた町であり、町の東も西も海に面している、というところです。この場所に町を作ろうとしたコリントスの人々は、おそらくここが交易の要衝になると見てとったのでしょう。そもそもコリントスの町自体が、コリントス地峡と呼ばれる陸地のくびれたところに位置していました。そのため、陸路でペロポネーソス半島から内陸へ、あるいは内陸からペロポネーソス半島に向かう者はコリントスを通過することになりました。そのことがこの町を通商で栄えさせることになったのでした。

コリントス人は陸峡地帯にポリスを営み、きわめて古くから通商の中心を占めていた。というのは、古くはギリシア人はペロポネーソス半島へ往来するとき、海路よりも陸路をえらび、コリントス領を横ぎって互いに交流したので、この地の住民は、古来詩人らも「富み豊かなる地」とこれを呼んでいるように、物質的な力をたくわえることができたのであった。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・13 から

ポテイダイアはコリントスと同じように陸峡地帯であるので、ここもまた通商の拠点になると植民者たちは考えたのだと想像します。当時すでにパレーネー半島の先端のほうにはいくつかのギリシア人植民市が存在していたので、それらとの通商路となることを想定したのでした。もっとも船で移動することが大好きなのが当時のギリシア人ですから、船で移動すればポテイダイアを通過する必要はありませんが、この町はパレーネー半島の東側の海と西側の海の橋渡しになる点でも有用でした。パレーネー半島の最もくびれたところで陸路を利用すれば、船で半島をめぐるよりも早く物品を輸送することが出来るというわけです。そしてこれは通商基地を各地に設置したいコリントスの僭主ペリアンドロスの政策に沿ったものでもありました。

(上:空から見たポテイダイア)


植民市創建の事業はおそらくデルポイアポローン神の神託によって始まったのでしょう。ポテイダイアについてはそのような話は伝わっていませんが、多くの植民市建設の話にはデルポイの神託に従って植民市が建設されたと伝えられています。例えば、タソス島にタソスを建設したパロスの人テレシクレースはデルポイに赴いた際に「霧立ちこめる島に、姿明らかなる町を建てよ」という神託を受け取ったと伝えられていますし、リビアの地中海沿岸の都市キュレーネーをテーラの人バットスが建てたのもデルポイの神託が「主ポイボス・アポロンは羊飼うリビアの国へ、新しき町を築くべく汝を遣わされるぞ。」と告げたからでした。コリントスの例を探すと、植民ではなく再植民というべき事例になりますが、コリントスの植民市であったケルキューラの人々がさらに植民して出来たエピダムノスが内乱に苦しんだ時に、コリントスに助けを求め、コリントスから再度植民団を送り出す話があります。この時、エピダムノスの人々はやはりデルポイに神意を伺ったのでした。

エピダムノス人は(中略)デルポイに使を立てて、植民地開祖の国であるコリントス政府にポリス(=都市国家)の処置を委託し、何がしかの援助をコリントスに仰ぐべきか否か、と神にたずねた。神(アポローン)は、かれらにこたえて、ポリスを委託し、コリントス人の指揮を仰ぐべし、と命じた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・25 から