神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アンドロス(6):ペルシア戦争

この時のナクソス侵攻は、ミーレートスの僭主アリスタゴラスとペルシアの高官アルタプレネスが仲たがいしたために失敗しました。しかし、BC 490年にはペルシアは態勢を立て直してナクソスに侵攻し、これを占領しました。その後、ペルシアの軍勢はエーゲ海を北上し、(ギリシア人にとっての聖地であるデーロス島には手を出しませんでしたが、そのすぐ西隣の)レーナイア島に停泊し、さらに北上してエウボイア島の南端の町カリュストスを攻撃しました。ヘーロドトスの記述にはアンドロス島の名前は直接には出ていませんが、その記述からはアンドロス島がペルシア軍の攻撃を受けたことが推測されます。

ペルシア軍はデロスを去って後、次々に島に接岸してそこから軍兵を徴用し、住民の子供を人質とした。ペルシア軍は島々を廻っている間にカリュストスへも寄った。カリュストス人は彼らに人質も渡さず、また近隣の町(中略)の攻撃に参加することも肯(がえん)じなかったからで、ペルシア軍はカリュストスの町を包囲攻撃しその国土を荒したため、遂にカリュストス人もペルシア軍の意に服することとなった。


ヘロドトス著「歴史」巻6、99 から

デーロス島からカリュストスへの道筋にアンドロスは位置していたので、上の「次々に島に接岸して」という記述から、ペルシア軍はこの時アンドロスも占領したのだと推測出来ます。この時以来、アンドロスはペルシアに従うことを決意したのでした。


この時のペルシア侵攻はアテーナイ近郊のマラトンの野での戦いで、アテーナイによって阻止されます。10年後、ペルシア王クセルクセースはもっと大規模な陸海軍を編成して、ギリシア本土に侵攻します。このときアンドロスはペルシア側に立って軍船を派遣しました。これはアンドロスに限った話ではなく、エーゲ海の大部分の島々はペルシアの力を怖れ、ペルシアの求めるままに軍船を派遣したのでした。こうして決戦はアテーナイとサラミース島の間の海域で行われました。この戦いをサラミースの海戦といいます。このサラミースの海戦の前夜、アンドロス島のすぐ西にあるテーノス島の軍船がペルシアの陣営を脱走してギリシア側にやってきました。その後のサラミースの海戦ではギリシア側が勝利しました。ペルシア王クセルクセースは海戦の結果を見極めると、慌ててギリシア本土を発ち、小アジアに退却しました。海戦の翌日、ギリシア軍はペルシアの軍船を求めて海上を探索しました。

夜が明けて敵の陸上部隊がもとのままに留まっているのを見たギリシア軍は、水軍も(アテーナイ沿岸の)パレロン附近にあるものと思い、敵が海戦を試みるであろうと信じて、抗戦の準備にかかっていた。しかし敵の水軍がすでに退却したことを知ると、ただちに追撃することに決した。彼らはアンドロス島まで迫ったが、クセルクセスの水軍の姿を認めることができなかったので、アンドロスに着くと評議を開いた。


ヘロドトス著「歴史」巻8、108 から

アンドロスに上陸したギリシア軍は、ペルシア海軍を追跡することをあきらめ、その代りペルシアに加担したアンドロスから賠償金を徴収しようとしました。しかし、アンドロスは金の支払いを拒否したので、ギリシア軍の攻撃を受けました。

一方ギリシア軍は敵の艦隊をさらに追跡することも、橋を破壊するためにヘレスポントスに向うことも中止することに決すると、アンドロス島を占領しようとしてこれを包囲した。その理由は島嶼の住民の中で、(アテーナイの将軍)テミストクレスから金銭を要求されてこれを拒絶した最初の島民がこのアンドロス人であったからである。テミストクレスが、アテナイ人は「説得(ペイトー)」「強制(アナンケー)」の二大神を奉じてやってきたのであるから、なんとしても金を払えと述べたのに対しアンドロス人は、アテナイは有益な神々の援助までうけているのであるから、富強であるのは当然である。しかるにアンドロスは強度に土地が貧しい上に、「貧困(ペニアー)」「不如意(アメーカニアー)」という役にも立たぬ二柱の神がこの島を立退かず、いつまでも居座っているので、この神々をかかえている限り金を払うことはできない。アテナイの力をもってしても、自分たちの国の無力には勝てまい、とアンドロス人は答えた。彼らはこのように返答し金を払わなかったために包囲攻撃をうけることになったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、111 から

アテーナイの将軍で策に長けたテミストクレースが、「説得」と「強制」という名前の2柱の女神を連れて来たのだから、金を払えと言ったのに対し、アンドロス政府は、こちらには「貧困」と「不如意」という名前の2柱の女神がいるのだから金は払えぬ、と答えたのでした。なかなか面白い返答だと思います。


(右:テミストクレース)


でも本当のところアンドロスは、それほど貧乏ではなかったようです。事実、アンドロスはギリシア連合軍の包囲攻撃を耐え抜きます。つまり、それだけの実力があったのでした。攻撃側のギリシア諸都市連合軍にとって、アンドロスから賠償金を取る事はそれほどの優先事ではありませんでした。今は何よりもペルシアを撃退した祝賀を行いたかったのでした。そのため連合軍は包囲を解いて、サラミースに引き上げました。しかし、アンドロスを落とすことが出来なかったのが腹立たしかったのでしょう。サラミースに引き上げる前に、アンドロスと同様ペルシアに加担したカリュストスの領土を荒らしたのでした。