神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ポテイダイア(5):ペルシアの支配の終わり

まだポテイダイアがペルシア軍によって攻撃されている頃のことです。この時、ポテイダイアの市壁の中にはポテイダイア人だけでなくパレーネー半島のギリシア人都市からの援軍もいました。その中のスキオーネー人の部隊の指揮官がポテイダイアを裏切ろうとしたことがありました。

(ペルシアの将軍)アルタバゾスは(ギリシア人都市)オリュントスを占領した後、ポテイダイアの攻撃に鋭意専念したが、その彼に内通し町の引き渡しを策したのが、スキオネ人部隊を率いるティモクセイノスであった。その内通が当初どのような方法で行われたかは伝えられていないので、私も述べることができないが、結局は次のようなことになったのである。ティモクセイノスからアルタバゾスへ宛て、またアルタバゾスからティモクセイノスへ宛てて通信文を書き送ろうとするときには、これを矢の柄の刻み目に巻きつけ、それに矢羽根をつけてしめし合わせた場所へ射込むのである。しかしポテイダイアを敵手に渡そうとしたティモクセイノスの企みは発覚するにいたった。というのはアルタバゾスがしめし合わせた場所へ矢を射こんだところ、その場所を射損じ、矢はあるポテイダイア人の肩に当った。戦闘中にはよくあるとおり、矢の当ったものの周りに大勢兵士が駈けよってきたが、彼らはその矢を手にとって通信文のあるのに気付くと、指揮官の許へそれを届けた。


ヘロドトス著「歴史」巻8、128 から

こうしてティモクセイノスの裏切りは発覚しました。しかし、事後の処置は穏便に行われました。

そこにはパレネ地方の同盟諸国のものたちも同席していた。指揮官たちはその通信文を読み裏切者の誰かを知ったが、スキオネ人が今後いつまでも裏切者の汚名を蒙ることのないようにと、スキオネの町への配慮からティモクセイノスの裏切りの罪を追求せぬことにした。


同上

同盟都市スキオーネーの名誉をおもんぱかったということです。しかしティモクセイノスが指揮官の地位から外されることはあったのだろうと思います。ポテイダイアはこの裏切りの実行を防止することが出来、前回述べたように津波によってペルシア軍は壊滅し、町の防衛を全うすることが出来たのでした。アルタバゾスは生き残った部隊を率いて、テッサリアのマルドニオス(~ペルシアの将軍)の許へ引き上げました。


翌年の春、マルドニオスはペルシア軍を率いて南下し、アテーナイを目指しました。アテーナイは二度目の占領を蒙りました。しかし、その後のプライタイアの戦いでマルドニオスは戦死し、ペルシア軍は敗退します。以前ポテイダイアを攻撃したアルタバゾスはといえば、プライタイアでの戦死は免れましたが、敗走してアジアに逃げ帰りました。こうして、ペルシアのギリシア侵攻は最終的に失敗したのでした。


こののち、アテーナイが対ペルシアの軍事同盟を組織します。後世の人々はこの同盟をデーロス同盟と名付けました。それは同盟の軍資金が当初デーロス島に保管されたためです。ポテイダイアはこのデーロス同盟に参加します。同盟に参加した都市は、同盟に対して軍船や兵力を提供するか、その代りとして毎年お金を支払う義務がありました。ポテイダイアは軍船や兵力を提供するのではなく、毎年同盟にお金を支払うことを選びました。この同盟は最初はペルシアに対して共同で対抗する機能を果していましたが、徐々にアテーナイが他国を支配するための組織へと変質していきます。当初デーロス島にあった同盟の共同金庫もアテーナイに移されるようになりました。また、同盟を脱退しようとした都市は、アテーナイを中心とする同盟軍によって攻撃され、アテーナイの隷属国に落されました。しかし、ポテイダイアはこの状況に抗議することはしませんでした。おそらくそうするには力が弱かったからでしょう。

故国から離れることを嫌った多くの同盟諸国の市民らは、遠征軍に参加するのを躊躇し、賦課された軍船を供給する代りにこれに見合う年賦金の(アテーナイによる)査定をうけて計上された費用を分担した。そのために、かれらが供給する資金を元にアテーナイ人はますます海軍を増強したが、同盟諸国側は、いざアテーナイから離叛しようとしても準備は不足し、戦闘訓練もおこなわれたことのない状態に陥っていた・・・。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・99 から

一方、ポテイダイアの母市であるコリントスは、スパルタを中心とするペロポネーソス同盟に参加していました。デーロス同盟とペロポネーソス同盟はやがて対立するようになりました。