神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書いていきます。

スタゲイラ(7):アリストテレース




(左:アリストテレース


スタゲイラはアリストテレース誕生の地という、ほとんどそのことのみで有名ですが、アリストテレースはこの地にそれほど長く住んでいたわけではなかったようです。

父はマケドニア王アミュンタス3世(アレクサンドロス大王の祖父)の侍医であり友人であった。アリストテレスの幼少時代については詳しいことはわからないが、父が王の侍医であったからには、彼の家族も父と一緒にマケドニアの首都ペルラにあったに相違ない。不幸にしてその両親は彼がまだ幼少の頃死んで、その後は親類に当たるプロクセノスの後見の下に養育された。この人は小アジアのアタルネウスの人であったから、おそらくアリストテレスもその地へ移り住んだのであろう。


山本光雄著「アリストテレス (自然学・政治学)」より

アリストテレースは幼くして両親を亡くし、その後は親類を頼って小アジアへ移住したということです。そして両親が健在であった頃もたぶんスタゲイラではなくマケドニアに住んでいたのではないか、と山本光雄氏は推測しています。


小アジアのアタルネウスで少年時代を過ごしたらしいアリストテレースは、17歳の時、後見人プロクセノスの勧めでアテーナイにあるプラトーンの学園アカデメイアに入学します。後見人の眼から見てもこの少年の学問に対する才能が明らかだったのでしょう。さて、プラトーンアカデメイアを創立したのはアリストテレースが生まれるより前、BC 387年のことでした。アリストテレースアカデメイアの門をたたいた時、それから20年が経っています。この頃は確固たる名声に包まれた学園だったに違いありません。この時、プラトーンは60歳でした。



(右:プラトーン


もっともこの時プラトーンはアテーナイを留守にしていました。自分の弟子でシュラクーサイ(シシリー島にあったギリシア人都市。今のシラクサ)の政治家であったディオーンが、シュラクーサイの若き僭主ディオニューシオス2世を教育して欲しいと懇願したのを受けて、シュラクーサイに滞在していたのでした。プラトーンは自分の理想の実現のために努力したのですが、ディオニューシオス2世は暗愚な君主でした。プラトーンはシュラクーサイの政争に巻き込まれて軟禁され、ディオーンはシュラクーサイから追放されてしまいます。このようなゴタゴタがありましたが、プラトーンは何とか翌年にアテーナイに帰国しました。プラトーンは、学問に閉じこもる世間知らずの学者ではなく、このように60代になっても「理想のために活動する」人間でした。


さて、アリストテレースアカデメイアに20年間も所属しています。アカデメイアを離れたのはプラトーンが80歳で亡くなったからです。スタゲイラについて言えば、この1年前に重大事件がありました。マケドニア王ピリッポス2世がスタゲイラを破壊したのでした。ピリッポス2世は、アリストテレースの父ニーコマコスが侍医として仕えていたアミュンタス3世の息子です。彼の時代にマケドニアは領土を急拡大します。その征服事業の中でスタゲイラが破壊されてしまったのでした。これに対するアリストテレースの反応は伝えられていません。父と関係の深いマケドニア王家が自分の祖国を破壊したことについて、アリストテレースはどう思ったことでしょうか。その翌年に師プラトーンが死去するとアリストテレースは、アタルネウスとアッソスの両方の都市の僭主であったヘルミアスの招聘を受けて、アッソスに向いました。ヘルミアス自身がプラトーンの弟子だったので、アリストテレースとは旧知の仲でした。ここでアリストテレースは自らの政治思想における理想を実現するために努力したのですが、アリストテレースが来て3年後ヘルミアスは、ペルシアの仕掛けた罠にかかって殺されてしまいます。アリストテレースも命を狙われ、アッソスを脱出します。そして、アカデメイア時代の学友だったテオプラストスの勧めに従ってレスボス島のミュティレーネーに移住しました。ここでは主に動物の研究をしていたと推測されています。そこに移住して2年目、自分の祖国スタゲイラを破壊したマケドニア王ピリッポス2世が、13歳になる自分の息子アレクサンドロスの家庭教師としてアリストテレースを招聘しました。このアレクサンドロスはのちに大王と呼ばれ、ペルシア王国を滅ぼす人物になります。この招聘の際にピリッポス2世は、アリストテレースのためにスタゲイラを再建しました。

フィリッポス(=ピリッポス2世)はアレクサンドロスの性格が動かされにくく、強制には反抗するが理には容易に服して為すべきところにむかうのを見たので、命令するより説得することを試み、音楽教師や一般教育の教師にはアレクサンドロスの監督指導を全部はまかせなかった。というのはこのようなことははるかに大きな仕事で、ソフォクレスによれば
 「多くのくつばみの仕事と同時に多くの舵の仕事」(断片785)
というわけで、哲学者の中でも最も名声の高い、最も博識のアリストテレスを招き、彼にふさわしい立派な報酬を支払った。すなわちアリストテレスの出た都市、スタゲイラは一旦フィリッポスによって破壊されたが、ふたたび住民をいれ、市民たちで逃亡していたり、奴隷になったりしていたものをふたたびむかえた。


プルータルコス「アレクサンドロス伝」7 井上一訳より

このプルータルコスの文章からは、ピリッポス2世が自発的にスタゲイラを再建したように読み取れますが、実際はどうだったことでしょうか? 案外、アリストテレースが家庭教師就任受諾の条件としてスタゲイラの再建を交渉したのかもしれません。


このあとのスタゲイラについては、アリストテレースアレクサンドロスの家庭教師を辞任したあとにスタゲイラに一時滞在した、という情報がありますが、その後についてはよく分かりませんでした。ですので、私のスタゲイラについての話はここで終わります。