神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書いていきます。

スタゲイラ(2):植民活動

スタゲイラが建設されたBC 655年頃からその後、スタゲイラにどのようなことが起ったのか調べてみたのですが、なかなか「これは」という情報を見つけることか出来ませんでした。スタゲイラが建設された時代は、小アジアでは騎馬民族キンメリア人がギリシア人都市を襲っていた頃です。しかしキンメリア人は、さすがにスタゲイラまでは襲ってこなかったと思われます。ヘーロドトスの「歴史」はこの頃の小アジアの歴史については詳しく知らせてくれますが、スタゲイラのある地方については教えてくれません。ヘーロドトスの「歴史」がスタゲイラの付近の歴史を教えてくれるのは、ペルシアの3代目の王であるダーレイオスが部下にトラーキアの征服を命じたところからです。それでもこのトラーキア征服の記述にはスタゲイラの名前は登場しません。スタゲイラの名前が登場するのは、ダーレイオスの次の代の王クセルクセースの時の出来事においてであって、それはBC 480年のことです。スタゲイラが建設されたBC 655年頃には、まだペルシア王国自体が発足していませんでした。


このような訳でスタゲイラが建設されてからあまり時間が経っていない頃のことについては情報があまりないのですが、ひとつ気になる情報を見つけました。それはアンドロス人によってスタゲイラが建設されたのち、エウボイア島のカルキスという町からの植民者をスタゲイラが受け入れたという情報です。山本光雄著「アリストテレス(自然学・政治学)」(古い本です)にそのような情報がありました。そこには以下のように記されています。

さて、アリストテレスは紀前384/3年にカルキディケ半島のマケドニア領に近いスタゲイロスという(のちにスタギラと呼ばれた)寂しい田舎町に生まれた。(中略)この町はもとエーゲ海アンドロス島イオニアギリシア人によって植民され、後にエウボイア島のカルキスイオニアギリシア人からも補充されてできた植民都市である。


山本光雄著「アリストテレス (自然学・政治学)」より

私はほかにそのようなことを書いた記事を見たことがないので、この記事の元になった資料を知りたいと思っています。



また、この頃は植民活動が盛んだったということが分かりました。スタゲイラのあるカルキディケー半島の植民活動については記述を見つけることが出来ませんでしたが、スタゲイラ建設より80年ほど前のシケリア島(シシリー島)への植民の様子をトゥーキュディデースが記しているので、それをご紹介します。

ギリシア人の中で最初にやって来たのは、エウボイア島のカルキス人であった。かれらはトゥークレースを植民地創設者にいただいて渡来すると、ナクソス市を建設し(BC 734頃)、現在のナクソス市の外側にある、開国神アポローンの祭壇をこの時に建立した。(中略)それから一年おいて、コリントスのヘーラクレイダイ一門のアルキアースが、シュラクーサイ市を建設した(BC 733頃)。かれは、今は市の内郭となり島ではなくなっているが、かつては島であった場所からシケロス人を駆逐して、市を建てたのである。(中略)他方、トゥークレースをいただくカルキス人らは、シュラクーサイが建設されてから五年目に、ナクソスを基地として(原住民の)シケロス人と戦い、これを駆逐してレオンティーノイ市を建設(BC 729頃)、つづいてカタネーを建設した(BC 728頃)。カタネー人は、自分たちの植民地創設者としてエウアルコスをえらび、その指示に従った。
 これと同じ頃、メガラからもラミスが植民団をひきいてシケリアにやってきた。そしてパンタキュアース河を見おろす地点に、トローティーロンという国を開いた。やがて其処をあとに、レオンティーノイのカルキス人らのもとに移って、しばらくの間は市民の待遇を与えられていたが、やがてカルキス人らと相容れなくなって国を追われ、今度はタプソスを建設、ラミス自身はそこで亡くなった。残った者たちは、(原住民の)シケロス人の王ヒューブローンがかれらに別の土地を与えて入植を指導したので、タプソスをすてメガラ・ヒューブライアの名で知られた国を建設した(BC 728)。かれらはその後245年間ここを住居としてきたが、シュラクーサイの独裁者ゲローンのために町と領土を奪われて、国を捨てた。この移住がおこなわれるより以前に、すなわちヒューブライアの建設後100年目に、かれらはパミーロスを送ってセリーヌースを建設していた(BC 628)。このパミーロスはヒューブライアの母国であるメガラからやって来て、セリーヌース建設に力を借したのである。


トゥーキュディデース著「戦史」巻6・3~4 から

おそらくスタゲイラ周辺の植民市もこの記述のように続々と建設され、ある植民市がさらに別の植民市を建設するということもあったのでしょう。このような植民市の建設は多くの場合、原住民の追放を伴ったのであり、スカゲイラの場合、トラーキア人を駆逐して建設されたのでした。


さて、スタゲイラ市民の中には古くからの生まれの良さを誇る貴族もいれば、そうではないが交易などで実力をつけてきた新興勢力もいたと思います。BC 600年前後にはギリシアの多くの都市でこの両者の対立が目立ってきました。スタゲイラでもそのような対立が起きたのではないか、と想像します。