神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ポテイダイア(7):アリステウス

前回お話ししたようにアリステウスはコリントス人で、コリントスからの志願兵を率いてポテイダイアに援軍にやってきたのでした。攻め寄せるアテーナイに対する最初の戦いにおいてアリステウスが計画した作戦は以下のようなものでした。

アリステウスの作戦計画は、アテーナイ勢が進軍してくれば、自分は配下の将士らとともに陸橋地帯の警備を担当し、カルキディケー人をはじめ陸峡の北側の同盟諸兵は(中略)オリュントス城内にて待機する。アテーナイ勢がさらに陸峡地帯に戦列をすすめたとき、オリュントスの伏兵はその背から襲いかかって敵軍を挟撃する、というのであった。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・62 から

オリュントスはポテイダイアの北側にあった町です。しかし、アテーナイ側はそのようなことを予期して、自分たちに同行しているマケドニアの騎兵隊をオリュントス附近に配置し、オリュントスから援軍が来襲するのを防がせました。やがてポテイダイアのすぐ北で両軍が衝突すると

アリステウス自身が指揮をとっていた一翼とその近辺のコリントス人やその他の精兵は、正面に対する敵陣を突崩し、逃げるを追ってかなりの距離に及んで前進した。しかし残余のポテイダイア・ペロポネーソス諸兵は、アテーナイ勢に押しまくられて城壁内に逃げおちた。


同上

という結果になってしまいました。この時、かねてからの打合せ通りオリュントスから援軍が発進したのですが、これはアテーナイ側についていたマケドニアの騎兵隊が道をふさいだため思うように進軍出来ませんでした。アリステウスは

残りの味方がことごとく敗退したのを見て、ここにいたってオリュントス方面にむかうべきかポテイダイア内に逃げ込むべきか、いずれに進んで突破口を求めればよいかと途方にくれた。結局、配下の将兵を密集体系にまとめて駈足でポテイダイアにむかって敵陣を突破することに決め、岸壁下の荒磯ぞいに、攻撃の雨をくぐって辛うじて血路をひらいた。その間少数の犠牲者をだしたが、大部分のものを救うことができた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・63 から


このあとアテーナイはさらに援軍を送り、攻城壁を南北両面に築くとともに海上を軍船によって封鎖しました。

ポテイダイアが壁づめに遮断されるにいたって、アリステウスは、ペロポネーソスからの援軍でも到着するか、望外の変事でも生じない限り、城市を救済できる望みはないとして、次の提案をおこなった。籠城が長びいても糧食が一日でも長く続くように、五百名の守備兵だけをあとに残し、のこりの市民は皆、順風を見はからって海上への脱出を試みる、もちろんかれ自身は残留隊の一人としてとどまる用意がある、と。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・65 から

しかし、この提案はポテイダイアと同盟軍の指揮官たちに受け入れてもらえませんでした。そこで相談の結果、アリステウスはアテーナイ軍の看視の眼をくぐってポテイダイアから脱出して、外部に支援を求めることになりました。アリステウスは脱出に成功し、周辺で転戦したのちコリントスに戻りました。アリステウスの働きかけもあって、コリントス政府はペロポネーソス同盟諸国にスパルタに集まるように要請し、同盟の会議において、アテーナイへの開戦をスパルタに迫りました。ポテイダイアの件だけが理由ではありませんでしたが、スパルタはついに開戦を決定しました。そして同盟軍はアテーナイのあるアッティカ地方に侵入しました。しかし、アテーナイは籠城して相手にせず、ポテイダイアから兵を撤退させることもしませんでした。その後、アリステウスは、他のペロポネーソス諸国の者と一緒にペルシアの宮廷への使者となりました。これはペルシア王を説得して軍資金を出させるためでした。50年前にはスパルタとアテーナイは協力してペルシアの侵略に立ち向かったというのに、今度はギリシア人同士の争いのために、ペルシアの力を借りようとしたのでした。その途中、彼らはトラーキア王シータルケースを訪問したのですが、この王の息子サドコスはアテーナイのシンパでした。一行が王の許を辞去したあと、王子はそのあとを兵に追わせて一行を逮捕させました。そして彼らをアテーナイ人に引渡したのでした。

こうして使節一行の身柄を手に入れたアテーナイ人は、かれらをアテーナイへ護送した。一行が到着すると、アテーナイ人は、アリステウスが先頃ポテイダイアやトラーキアの叛乱の主謀者であると見做し、もしかれを逃せば又もや旧にもまさる被害をアテーナイに加えるのではないかと恐れた。そこで使節のある者たちが発言を求めたにもかかわらず、裁判に附することもなく即日全員を処刑して、その屍骸を屍体遺棄場に投げ込んだ。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1・67 から

ポテイダイアを救うために奔走したコリントス人アリステウスはこのようにして生涯を終えたのでした。