神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アンドロス(2):ティツィアーノの「アンドロス島のバッカス祭」

前回

もし、アンドロス島の人々がディオニューソス神を強く信仰していたのであれば、その由来となる神話・伝説のたぐいがあるのではないかと思い、探したのですが、今のところ見つかっていません。

と書いたのですが、今回それらしきものを見つけました。


ルネッサンス期の有名な画家ティツィアーノの絵の中に「アンドロス島バッカス祭」というのがあるということです。バッカスというのは、ディオニューソス神の異名です。

(上:ティツィアーノ作「アンドロス島バッカス祭」)


ウィキペディアによれば、これはローマ時代のAD 3世紀のギリシア著作家ピロストラトスの著した「エイコネス(絵画記)」という本の記述に基づいてティツィアーノが描いたとのことです。「エイコネス(絵画記)」とはどんな本かといいますと

『エイコネス』は、表面上は、ピロストラトスナポリで見た65点の絵画を文章で描写したものである。ただし、著者が実際に絵画を見たか否かについては、議論がある。


ウィキペディアの「エイコネス」の項より

とのことです。ややこしい話ですが、ピロストラトスナポリで見た絵のひとつに「アンドロス人たち」という絵があり(もっとも、そういう設定になっているだけで本当は見ていないのかもしれないのだそうですが)、その絵を文章にしたものが「エイコネス」に収録されたのです。それから約1300年後、ティツィアーノはその文章を元に描いたのがこの「アンドロス島バッカス祭」です。つまり、絵→文章→絵、という変換がなされたわけです。


それでは「エイコネス」にどのようなことが書かれていたのかといいますと、これもウィキペディアに書かれていました。

ディオニュソスの御業は大地を割り、そこから葡萄酒を溢れ出させ、川となって流れる。その量は普通の川の水量には及ばず、ましてや名だたる大河とは比べるべくもない。しかし流れるのが葡萄酒ともなれば話は別だ。人びとはその驚異に驚き、尊ぶことだろう。男たちはキヅタやサルトリイバラの冠を被って妻子に歌いかけ、あるいは川の両側で踊り、あるいは寝転がる姿が目に浮かぶ。さて、絵画には葡萄の房を敷き詰めて作った寝床に身を横たえた河神が描かれている。葡萄酒はそこから流れ出ているが、その周りには葦のようにテュルソスが生えている。河の流れに沿って河口まで見ていくと、トリトンたちが海中から姿を現して、法螺貝で葡萄酒を掬っている。葡萄酒を飲んでいる者がいれば、流れの中で吹き上げる者や、酔って踊っている者もいる。ディオニュソスはアンドロス島のお祭り騒ぎに加わるために航海し、ちょうど島に到着したところである。酒神はサテュロスやシレノス、信徒たちを従え、さらに宴会好きの精霊《お祭り騒ぎ》と《笑い》を伴っている。


ウィキペディアの「アンドロス島のバッカス祭」の項より

もっともティツィアーノは「エイコネス」の記述にそれほどこだわらずにこの絵を制作したということなので、文章と絵の対応を試みてもあまり成果がなさそうです。


さて、ではピロストラトスナポリで見た「アンドロス人たち」という絵は(そのような絵が仮に存在したとして)、どのような物語に典拠してそのような絵を描いたのでしょうか? 今度はそのことが私の興味になっています。上の記述によれば「ディオニュソスはアンドロス島のお祭り騒ぎに加わるために航海し、ちょうど島に到着したところである」とありますが、それは何の祭だったのでしょうか? もともとディオニューソス神の祭をアンドロス人たちは行っていたのでしょうか? そしてそれを嘉した御神が、アンドロス人たちに葡萄酒を贈ったということなのでしょうか?


もしそうだとすると、この出来事以前にすでにアンドロスにはディオニューソスの信仰が広まっていたということになります。あるいは、アンドロス人たちが別の神の祭をしていたところに、ディオニューソス神がやってきたのでしょうか? しかし、ある神が別の神ための祭に参加するというのは、あまり考えられません。


ディオニューソス神は、自身への信仰を人々に広めるために、いろいろな土地に現われて神変を起したと伝えられています。たとえば、テーバイにディオニューソスへの信仰(乱痴気騒ぎを伴うもの)が広まった時には、テーバイ王ペンテウスがその祭を禁止したといいます。それに対してディオニューソスは自分の信徒の女性たち(マイナデス)にペンテウスを襲わせて八つ裂きに殺させてしまいました。信徒の女性たちの中にはペンテウスの母親アガウエーもいましたが、彼女も凶行に参加しました。彼女たちはディオニューソス神によって狂わされていたのでした。しかし、アンドロスの上の記述には、もっと平和な雰囲気があります。アンドロスの人々は最初からディオニューソスへの信仰を受け入れていたとみるのが、よさそうです。そうすると、信仰を受け入れるにいたった経緯を示す伝説が別にあったのではないか、と思います。私はそのようなものがないか探してみたくなりました。